一瀬 遥

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  • 年齢30歳

  • 出身地 兵庫県

  • 結婚 既婚

  • 海外経験なし

  • 職業 公立高校教諭

  • 勤務地 兵庫県

  • 会社名県立高等学校

  • 出身校 関西大学

  • 専攻 文学部 教育学専修

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3 Points

小学生の頃から先生になりたいなと思っていた

教育分野に興味は持ち続けたが、新卒では民間企業に就職

経験を活かし、高校教諭としてキャリア教育に力を入れている日々

岩田真一

聞き手

岩田真一

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中学生まで

Q 一瀬さんはずっと兵庫県なんですね?

はい。大学は大阪だったのですが、サークル活動が忙しくなった時に1年間下宿していた以外はずっと兵庫県です。両親は基本的には私に近くにいて欲しいという希望があったのですが、片道2時間もかかっていたので、その時だけはあまりにも大変だったので、1年だけ下宿しました。生まれ育った場所は兵庫県郊外で、田んぼが多い場所です。子供の頃はよく外で遊びました。両親も自然が好きだったので、山に連れて行ってもらったりしました。地域の活動はとても活発で、両親も自治体のイベント(キャンプなど)やPTA活動によく参加していました。お神輿担いだり、盆踊りしたりしたのは良い思い出です。

Q 一瀬さんは公立の中学校へ通われましたが、当時中学校受験は周りでは多かったのでしょうか?

いえ。土地柄もあると思いますが、クラスに1名くらいでした。どのような理由で受験するのかは分かりませんでしたが、周りの印象は「お金持ちの子だな〜」という程度でした(笑)。

高校入学

Q 高校選び、高校受験の状況はいかがでしたか?

小学校の頃から習い事が多く、ダンスや合唱をしていました。その影響もあって、中学校で演劇部に所属していました。とても楽しかったので、もっと本格的にやってみたいと思い、試しに演劇科のある高校を受けることにしました。ただ受験する子はみんな歌やダンスを本格的にな習っている子ばかりで、倍率も高くて合格することができませんでした。こちらは推薦入試だったので時期も早く、終わってから本格的に高校受験を始めました。学校の先生や、塾の先生、両親と相談して学力レベルで地域の公立を選びました。学校では地域で3番目の高校を進められましたが、塾では2番目に入れると言われ、頑張って2番目の高校に入りました。両親は勉強に関してはあれこれ言わないタイプでしたが、その高校は人気があった高校でしたので、その時とても喜んでいたのを覚えています。両親が割と放任主義だった理由は、私が双子で両親も共働きだったので、そんなに子供に構っている余裕がなかったからじゃないかなと思います。結構ほったらかし(?)な分、子供たちはしっかりしてました(笑)。

Q 一瀬さんは現在公立高校の国語の先生をされていますが、先生を目指そうかな、と思いはめたのはいつですか?

今思うと小学校高学年のときかなと思います。6年生が1年生の面倒を見てあげましょうという仕組みがあって、1年生の子がとても慕ってくれたんです。周りからも私の子どもたちへの接し方を見ていて子ども好きっていう認識があって、先生や両親から、保育士や学校の先生が向いているんじゃない?と言われていました。その頃からずっと意識していたかもしれません。でも具体的に考え始めたのは、高校や大学の時です。

Q 割と早い時期に意識されたんですね。高校でも教育に関して何かきっかけがあったのですか?

高校でも中学から続けてきた演劇部に入りました。それが影響していると思います。演劇部にいるとお芝居だけではなく、照明などの運営や企画もやるようになります。そのようなことが楽しかったことと、元々教えることも好きだったことが合わさって「教育制度」のような仕組みの方に興味をもつようになりました。外国の教育制度って日本と違うのかな、など。ですから、その時点では先生になって直接授業するというより「教育委員会」などの組織で仕組みづくりをしたいなと思うようになりました。それで大学もそれに合わせて選びました。

Q 先生として授業したりするより、仕組みを作る教育委員会志望だったんですね。その後、再び先生の方へ希望が移った過程を教えて下さい。

私は指定校推薦で大学に行ったのですが、推薦のための課題の一環で高校3年生の時に教育委員会にインタビューする機会がありました。でもなんかイメージと違って、あまり楽しそうに感じられなかったんです。自分が期待していたような、教育に対する情熱に溢れ、一生懸命仕事しているっていう感じがその時はあまり感じられなくて。。私は色々と自分で考えたことがあったので、その話をしてみたら「君のような人が来てくれるといいね」と言われるほどでした。その時に、自分が行くべきところは教育委員会でいいのかな?と思うようになりました。やっぱり変えていくには現場の先生かな、と。

大学入学

Q 大学ではいかがでしたか?自分の将来や就職について考える機会がありましたか?

演劇はずっと好きでしたが、大学ではより沢山の人たちと知り合いになれると思って「よさこい」のサークルに入りました。大学でサークルや他のボランティア活動に参加したりする中でより「現場志向」が強まったと思います。現場じゃないとわからないことは結構あるな、と。ずっと先生を目標にしていましたが、サークルの先輩を見ていて、また就職活動の支援団体と触れ合って、みな楽しそうにしている人が多かったので、3年生の時一般企業もいいなと思いました。特に就活支援団体には自分自身も4年生の時に関わるようになり、そこで「キャリア教育」への興味が出てきました。そして「現場」への志向がさらに高まりました。

Q 学校の先生ではなく、新卒時の就職先としては一般企業を選んだのですね?

はい。就職支援団体でいろいろと話を聞いて、ずっと一般企業で働くのもいいかな、と。出来れば教育に関わりたいなと思って、教育系企業も受けました。ただ、就職活動を続ける中で「やっぱり企業の社員として実際の教育に関わるのは限界があるのではないか」と思いました。それで今度は少し方向転換をして「2〜3年努めて力をつけてから、やりたかった先生になれたらいいかな」と思うようになりました。

Q そこで再び先生への道が現れたわけですね。2〜3年でスキルを付けて、という方向転換において選ぶ企業の種類は変わりましたか?

はい。大企業だと若い頃から希望の部署に行くのは難しいと思ったので、ベンチャー企業も見始めました。ただ当時のベンチャー企業はITや広告が多く、私は興味が持てなかったんです。自分が所属していた就活支援団体の活動そのものが面白かったことを思い出して、キャリア教育そして色々考えて「人材紹介会社」に就職しました。

Q 一瀬さんの就職に関して、ご両親は何かアドバイスしたり、心配されたりしましたか?

両親の関与はそこまではなかったですね。だいぶ心配はしていたと思いますね。先生になるのかなと思ってたらそうじゃなかったし、大丈夫かな?と。それとベンチャー企業と言い出した時は「東京に行ってしまうんじゃないか」ということが一番大きな心配だったようです。大学も自宅から通えるところ、という両親でしたので。そのことについては、最近になって謝られたことがあります(笑)。本当は東京に行きたかったんじゃないの?と。私もそれほど強く思っていたわけではないのですが、両親がそのことを気にかけていてくれていたんだなと思って嬉しかったです。

Q 就活支援団体に参加されて、日本の大学生の就職活動について何か感じたことはありますか?

ありました。3年や4年で急に仕事や就職のことを考えだしてもちょっと遅いなと思いました。就職活動では面接で「大学時代に頑張ったこと」などを聞かれることを知りますが、その時点で思い立っても、もう頑張りようもないな、と。ですから大学1年、2年のうちから就活などの進路を支援する機会を提供していかないといけないと思いました。特に日本では「大学の勉強=仕事に役立つ」という風にはなっていないので、意識的にする必要があると思います。そういう意味では、大学時代に何となくバイトしたり、授業も割と真面目に出て普通に勉強している子で、特に他の人と違うような頑張ったことはありません、という子が一番困っている感じです。むしろ何でもいいので振りきって何かの活動をしている子の方が就職のときには強い印象を受けました。ここが「勉強=仕事・就職」になっていない部分で、これまでの受験とは違うところですね。理系の場合は仕事に関連しているケースも有るのですが、文系の場合はそういう意識をより強く持つ必要があると思います。

Turning Point

就職 人材紹介会社のキャリアコンサルタントとして

Q ご自身の就職はいかがでしたか?2〜3年で辞めて先生になるプランはうまくいきましたか?

人材紹介会社はとても楽しかったです。色々な職種について学べましたし、人の人生に関われるようなところは進路指導をする先生になっても役立つと思いました。ただ2〜3年ではなく1年辞めることになってしまいました。リーマン・ショックが起きて、企業の求人が軒並み減ってしまったんです。人材紹介会社は直接そのあおりを受けて会社が早期退職希望者を大量に募りました。このままいても伸びる可能性が無いし、退職金も出るということでしたので、だいぶ計画より早かったですが退職して先生になることにしました。

転職 高校の非常勤・常勤講師として

Q 先生になるにあたって、高校を選んだ理由を教えて下さい。

まず一つは私自身、高校時代がとても楽しかったからです(笑)。それと高校生の方が自分が興味のあるキャリア教育も出来ると思ったのもあります。中学生よりも進路により現実味を帯びてくる年代だと思いました。

Q 非常勤講師になるにはどのようなプロセスが必要ですか?

教員免許を持っていれば、面接というか面談だけで採用されます。それまでの講師経験なども問われませんでした。私の場合10分程度の確認のような面談だけでした。そしてすぐに、じゃあ授業お願いします、と言われて驚きました。

Q 非常勤講師の良さと大変さを教えて下さい。

良さとしては授業だけに力を入れられることでしょうか。あとは、非常勤だと複数の高校を掛け持ちで出来る点も経験としては良かったですね。私は定時制、商業科、総合学科などを掛け持ちしていました。大変な点は「一コマいくら」という時給契約なので、授業以外に採点などで時間を使ったとしてもその分は給料として支払われないことですね。ですので、2年経った頃に受け持っていた定時制高校から常勤講師のお話をいただけたときは良かったと思いました。先生の働く環境も自分でやってみないとなかなかわからないなと思いました。

高校教諭 正規職員として

その後正規職員として高校の先生になりました。とてもやりがいのある一方で、難しい面も多いと思います。

私は民間企業に1年間いたので、その時はシスター制度があって先輩が色々と仕事を教えてくれました。でも先生ってそういうのがないんですよね。新人の先生であったとしても先生は先生ですから。私は講師経験があったので良かったですが、いきなり新卒で配属される若い先生は大変だと思います。今は年配の先生方が大量に退職されるタイミングで、若い先生が最初から授業だけではなく担任も任されてしまいます。それに若いと運動部の顧問も担当するケースが多く、指導もなかなか受けられないので大変です。大変すぎて、中には1年で辞めてしまう若い先生も少なくありません。

Q 講師を経て正規職員になる方が良いのでしょうか?

経験という意味ではそうですが、一方で講師は「アルバイト感覚」に陥りやすく学生気分が抜けないというデメリットも有ります。

Q キャリア教育という点で取り組まれたことはありますか?

はい。高校生に向けて自分の授業の中や進路指導の中でも出来るだけ社会と繋げる形で、社会で求められる力をつけられるような授業をしたいと思っています。実際に卒業生を高校に招いて話をしてもらう活動などを実施しました。

育児休暇

Q 今は育休中で子育てを楽しんでいらっしゃると思います。先生として復帰されたらやってみたいことはありますか?

これまでの自分の興味や経験を活かしてキャリア教育には力を入れたいです。卒業生を招いて話をしてもらう企画も、今後は規模を大きくして高校生のうちに社会人と触れ合ったりキャリアについて考えていく機会を内外で作れたらいいなと思っています。これまでの進路指導での反省点として、後悔して欲しくない、という気持ちからどうしても過保護になりがちだったなぁと思っています。学校外の人と生徒を繋いだり、私自身がもっと学校外の方と繋がって発信したり、生徒が触れる純粋な情報量をもっと増やして生徒の判断に委ねることができていたら、と思いました。これからもより良い指導法を考え続けて、実行していきたいと思います。