島村 真

0018

  • 年齢44歳

  • 出身地 埼玉県

  • 結婚 既婚

  • 海外経験なし

  • 職業 パイロット

  • 勤務地 東京都

  • 会社名日本航空株式会社 JAL

  • 出身校非公開

  • 専攻 理工学部

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3 Points

大学受験で人生初の挫折を味わう

大学でパイロットを目指す。厳しい訓練の中でチームワークの大切さを実感

長い訓練を終え昨年機長に。責任感と充実感は想像以上だった

インタビューの前に

憧れの職業の一つ「パイロット」にはどうやったらなれるのでしょうか。長い訓練期間、副操縦士の期間を経て昨年機長に昇格された島村さんのこれまでの人生をシェアして頂きました。

岩田真一

聞き手

岩田真一

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地元・幼少時代

Q. 島村さんの生まれ育った地域や幼少期について教えて下さい。

生まれ育ったのは埼玉県です。空き地がたくさんあったので遊び場所には困りませんでした。

小学校時代

のんびりとした環境で塾に通ったり中学受験する子も周りにあまりいなかった

Q. 外遊びが多かったんでしょうか?

そうですね。毎日暗くなるまでサッカーや探検ごっこのようなことをして遊んでました。

Q. お父様は東京勤務だったそうですね。

通勤ラッシュの中、会社に通勤していました。

Q. 地元の小学校では、塾に通う子や中学受験を目指す子は多かったですか?

いえ。周りはのんびりしている環境でしたので、塾に通っている子もあまりいなかったのではないでしょうか。僕の周りにもいわゆる進学塾に通っている子はいませんでした。僕は公文、書道、水泳などの習い事はしていました。個人的に振り返ると公文は役立ちましたね。

ー 僕の地元の八王子と似ているかもしれません。土地柄や時代もあり、それほど中学受験は一般的ではなかったのですね。

そう思います。そう言えば僕の地元と都内との違いを感じた出来事がありました。同い年の従兄弟が東京に住んでおり、小6の春休みに遊びに行ったのです。その子の小学校の校庭で、地元の子ども達とキャッチボールやサッカーをして遊んでいたのですが、その時の彼らの話題が中学受験の話が中心だったのです。誰々はどこの中学に受かった、とか。そういう話を子ども同士でしているという状況が小さなカルチャーショックで驚きでした。

中学校

塾に通うようになり他校の生徒との交流で世界が広がった

Q. 地元の公立中学校はいかがでしたか?

中学では仲の良い友だちに誘われて陸上部に入り短距離をしていました。中2からは塾にも通い始めました。塾では初めて他の学校の人と交流する機会が生まれ、視野が広がったような気がします。

ー 塾は学力のためだけではなく、自分が通う学校とは別のコミュニティに属すことで交友関係が広がる、という話はよく聞きますね。

はい。塾で一緒だった他校の友達とは今でもつながっています。その塾にはとても面倒見のいい英語の先生がいて、お世話になりました。その先生がおっしゃっていた「英語にはいい意味での『うぬぼれ』が大事。出来ると思ってやれば出来る」という言葉はとても印象に残っており、英語以外にもそれを当てはめて考えるようになったかも知れません。その先生や一緒に学んでいた友達とは高校になってからも交流が続きました。

高校時代

受験勉強で疲れた羽根を伸ばした1年時。東京への憧れを抱くようになった

Q. 高校受験、そして入学後の高校生活について教えてください

高校は、第一志望の県の公立高校に合格しました。勉強漬けの日々だったので受験が終わったら羽根を伸ばそうと思っていました。ただ羽根を伸ばしすぎて高校1年生のときの成績はかなり下の方でしたが、僕の中では「まだまだ本気を出していない」という意識があったので特にショックも受けていませんでした(笑)。その一方で、勉強熱心で真面目な子は逆に中学時代と同じような成績を取ろうと必死になり自分を追い込みすぎて学校に来られなくなってしまう子もいました。一人僕と同じようなタイプの子がいて、彼も「俺は本気を出せば凄い」と言っていましたが(笑)、実際彼は現役で国立大学に合格していました。振り返ると、ある程度の手の抜き加減というかメリハリは大事なんだと思いました。

ー 小学校、中学と違い、高校になると成績はシビアに分かれてきますよね。

そうですね。

Q. 高校時代に大学のイメージはありましたか?

住んでいたのが大宮まで15分という場所で、当時は都心から遠いことが嫌でした。東京にいる従兄弟の家に遊びに行ったりすると、東京はいいなと憧れるようになりました。振り返ってみると子どもの頃に過ごした環境は良かったと思いますし、愛着もあります。

大学受験

浪人が当たり前という公立の進学校。現役時代の受験は「練習」と言われていた

Q. 大学受験はいかがでしたか?

僕が通っていた公立校は進学校でしたが「四年制高校」と言われていたくらい、みんな浪人するのが当たり前という雰囲気でした。現役で受かれば儲けもの、という。一年浪人してからの受験が本番で、現役時代の受験はそのための練習、みたいな風に言われていました。僕は国立大学を志望していて、例に漏れず浪人することになりました。

ー 「4年制高校」!僕の高校もそうでした(笑)

Turning Point

浪人時代

国立大学を目指して浪人生活。家族は海外に。祖母と二人の生活で集中して勉強した。予備校で良い合格判定が出ており自信を持って臨んだ受験だったが、当日「想定外」の出来事に対処しきれず不合格。第2志望の私立大へ進むもショックから立ち直れなかった

Q. 浪人生活はどうでしたか?

高校3年生のときに父がヨーロッパに単身赴任となり、僕の浪人が決まったタイミングで、母と妹も僕を置いて(笑)、父のいるヨーロッパに行くことになりました。その間は大阪にいた祖母が来て面倒を見てくれました。祖母と二人での浪人生活は自分のペースで勉強できて、結果的にとても良い環境でしたね。

Q. 受験はいかがでしたか?

結果的には第2志望の私立大学に入りました。国立大学受験に関しては、予備校でも良い判定が出ていましたし、2次試験で想定外のことが起きて集中力を欠いてしまったりと悔いが残る結果になりました。頑張ったし自信があった分、不合格のショックからしばらく立ち直れませんでした。

Turning Point

大学時代

第一志望の不合格で当初は途方にくれていた大学時代。途中で前を向いて進もうと大学生活を楽しんだ。友人の先輩がパイロットを目指して航空会社を受ける、という話を聞き自分も興味をもつようになった

ー 僕も全く同じ経験があります。1年間そのために頑張ってきたわけですからつらいですよね。

はい。大学に入学したあとも大変でした。最初の半年くらいは仮面浪人という道も含めて悩んでいたのですが、このままでは「大学生活が終わってしまう」と。これまで順調だったので、人生で初めての大きな挫折を味わったわけですが、この時に一度挫折を経験したことが人生の大きな糧になっていると思いっています。

Q. その後パイロットを目指すことになりますが、何かきっかけはあったのでしょうか?

大学に入った時は就職のことは全然考えていませんでした。僕は理系でしたが、親を含め親戚には文系の人が多く、自分自身も金融などの文系就職をするのかな、とぼんやり思っていました。その時、友達の先輩(3年生)がパイロットを目指して航空会社を受けるという話を聞く機会があり、純粋に「いいな」と思いました。車の運転や機械の操縦も好きだし、そのような道があるんだと思って受けてみることにしました。

大学3年生 - 国内航空会社受験

航空会社への就職を目指し受験。6次まで及ぶ長い試験が続くことになる。見事試験と面接をクリアし合格が決まる

Q. パイロットになる方法。とても興味深いです。具体的に教えていただけますか?

ひとつは僕のように航空会社に入り、自社養成制度によりパイロットを目指す方法です。当時は就職協定があり大学3年生の11月から受けることができました。ですからもし不合格になった場合でも、その後にいわゆる普通の就職活動を始めても大丈夫でした。航空会社の試験ですが、僕の時は6次までありました。全部で大体3〜4ヶ月くらいかかります。

Q. 具体的にはどのような試験でしたか?

当時の1次試験は筆記と集団面接です。合格すると2次試験は英語面接になります。3次試験は管理職による面接を受けます。続いて4次試験として身体検査があります。当時パイロットの条件としてよく言われた「裸眼で1.0以上」などもこの時に検査されます(現在は裸眼視力の要件はありません)。次の5次面接はパイロットとしての「飛行適性」を見るテストです。そして最後の6次は役員面接です。

Q. それは長丁場ですね。それを3〜4ヶ月かけて受けていくわけですね。ところでパイロットになるには航空大学校でライセンスを取得するという道もあると聞いたことがあります。違いを教えて頂けますか?

僕のように一般大学から航空会社に就職してパイロットを目指す制度を自社養成制度といいます。その航空会社の運航の仕方も基礎課程で一緒に学べるので効率は良いかもしれません。旅客機に最適化された訓練になっています。航空大学校は一般の大学や高専を経由して入学し、基礎的な操縦ライセンスを取得することができます。卒業後は、航空会社に就職してパイロットを目指すことになります。

日本航空 (JAL) 就職 - 訓練生時代①

就職後いきなり海外での「基礎課程」訓練が始まる

Q. 見事、日本航空に就職されました。しばらくは訓練が続くと思います。どのような場所でどのような訓練を受けるのですか?

もう20年前の話になりますね(笑)。最初の2年間はアメリカのワインの産地としても有名なナパというところで「基礎課程」になります。訓練機を使った訓練で、基礎的な操縦ライセンスの取得までを行います。

訓練生時代②

日本に戻ってからも引き続き「実用機課程」訓練が続く。同期入社のメンバーとのチームワークによって訓練を乗り切った

Q. いきなり海外なんですね。その後の訓練はどのように進むのですか?

基礎課程が終わると日本に帰ってきて、約2年間の「実用機課程」が始まります。今度はその実用機(=旅客機)に乗るライセンスを取得するんです。乗務する機種は会社から指示されます。今は機種ごとにシミュレーターも精巧にできていて、ほとんど実機と同じ感覚で訓練できますので、シミュレーターも併用します。最後は実際の旅客機でパイロットとしての審査があります。無事に合格できたらついに訓練修了となり副操縦士として乗務が始まります。

Q. 訓練期間は4年間続くのですね。今振り返ってみて訓練期間に大事なことは何だったと思いますか?

意外に思われるかもしれませんが、一緒に訓練をする仲間とのチームワークですね。特に最初の基礎課程では自分たちの経験や失敗談を同期の間で共有することによって、お互いに啓発すべきところを教え合い、助け合いました。実際に「一人で訓練は出来ない」と言われています。自分が知らないことを訓練仲間が知っているかも知れないから聞く、自分が知っている知識は仲間と共有する、というスタンスがとても大事です。訓練を乗り越えていくためには自分自身の努力はもちろん、いかに仲間と力を合わせるかが大切になってきます。コミュニケーションを大切にし、仲間とのチームワークで訓練を乗り越える意識が大切ですね。

Q. なるほど。確かにパイロットというと、一人一人が独立している印象があり、あまり「チームワーク」という言葉は思い浮かびませんでした。

実はそのチームワークの部分は僕がこの仕事を「いいな」と思う理由の一つです。仲間同士で切磋琢磨し、お互いに積極的に情報を共有し教え合うことが、自分にとっても、仲間にとっても、会社にとっても、そしてお客さまにとっても良いことになります。その点が僕には向いていました。

副操縦士

4年に渡る訓練を経て副操縦士としての乗務が始まる。やっと会社に恩返しができるという実感。副操縦士としての初フライト。10年以上という長い副操縦士の期間。それは機長になるための素養、能力をさらに高い次元で深化させる期間だという意識が大事

Q. 約4年間の訓練期間を無事修了し、いよいよ副操縦士になるわけですね?

はい。入社後最初の4年間は学生の延長のような勉強の日々でした。勉強と訓練に明け暮れる毎日です。大学の同級生でサラリーマンとして就職した友人たちは責任ある仕事を任され始めている年齢ですが、自分はようやくスタートラインに立つことができたと思いました。

Q. 副操縦士としての初めてのフライトは覚えていますか?

よく覚えています。2000年の7月でしたが、いきなり荒天による洗礼を受けました。その日はニュースになるくらいの悪天候で、具体的には雷雨、集中豪雨、地上では冠水といった被害が出ていました。目的の空港に着陸できないかも知れず、空中待機したり、他の空港へ着陸する可能性を考える必要もありました。結果的には無事に着陸することができましたが、地上業務も雷雨でストップしていたため駐機場に行くことが出来ず着陸後も1時間近くお客さまを機内でお待たせすることになりました。機長からは「初フライトがこれでは先が思いやられる」と言われました(笑)。


Q. シミュレーター顔負けの天候でのデビューフライトだったのですね!話を聞いていても緊張が伝わってくるようです。その後の副操縦士としての生活はどのようなものでしたか?

国内線・国際線が混在するスケジュールでしたし、最初の頃はリズムがうまく掴めず時差もありましたから、午前3時過ぎに寝て昼過ぎに起きるという感じでした。

Q. 僕も海外出張が多くて時間管理は悩みの種ですが、それが日常的になっているパイロットの方やCAさんは最初ペースを掴むのが大変でしょうね。

副操縦士になってしばらくは時間管理に苦労しました。

Q. 時差ボケ対策はどうされているのですか?

対処法は人それぞれです。「どこにいてもできるだけ日本時間で過ごす」と決めている人もいます。僕の場合はアメリカが特に辛いのですが、その方法で対応しています。若い頃は何かもったいない気がして日中出かけていましたが、今は朝になったら寝ています。現地では夜中になるとホテルのジムに行ったり、訓練中は夜集中して勉強していました。どの乗務員も体力や健康には気をつけているようです。岩田さんのようなビジネスマンの出張だと、昼間は寝ていられませんから大変ですね(笑)。

ー アメリカ出張は本当につらいです(笑)。

Q. 漠然とした質問になってしまいますが、副操縦士時代で一番大変だったことはどんなことですか?

お客さまがフライト中に急病になられたことですね。よく映画やドラマのシーンにありますが、お客さまの中に医師の方がいらっしゃることが多いので、まずはその方に診ていただきます。その上で対応策を判断をします。場合によっては即刻着陸できる空港を探すこともあります。

Q. 可能性としては毎回そのような事が起こり得るわけですね。普段の準備が大事ということでしょうか。

はい。僕はこの仕事の7割は何か起きた時に対処するケーススタディや地上での事前準備にあると思っています。離陸前にチェックできるものは網羅しているわけですから、離陸後は普段のケーススタディを元に、問題が起きた時にどう対処するかというマネジメント対応力が求められます。

Q. そのような経験を日々積むことが機長になる準備となっていくわけですね。

そう思います。副操縦士の期間は通常約10年あるのですが、それは機長になるための素養、能力をさらに高い次元で深化させていく期間です。自分自身で意識的に学んでいく姿勢がとても大事です。そうしないとあとで苦労することになります。具体的には機長昇格訓練の開始が遅くなったり、訓練でとても苦労したりすることになると思います。一方、目的意識をしっかり持ち、充実した副操縦士期間を過ごしていれば、順調に機長昇格訓練を修了することも出来ると思います。

機長昇格訓練

長い副操縦士の期間を経て2年間に渡る機長昇格訓練が始まる。通常の業務をしながら訓練の段階を進み、国家試験、最終審査など厳しい訓練が次々と続く

Q. いよいよ機長への昇格訓練となるわけですが、この訓練も大変だそうですね。

大変でしたね。同期社員はだいたい同じタイミングで機長昇格訓練が始まります。この訓練も2年間に及びます。普段の業務をしながら進んでいきます。つまり普段のフライトに教官(もちろん教官は機長)が乗って訓練することになります。今思い出しても緊張が蘇ってきます(笑)。機長昇格訓練期間中は離陸、着陸の数が多いほうがいいので、国内線や中距離路線が中心となります。

Q. それがずっと続くのですか?

具体的にはいくつか段階があります。「見極めフライト」の時は、丸一日教官に質問され続ける口述試験(Oral Check)もあります。あとシミュレーター訓練ですね。フライト毎に違う教官に評価される時期もあります。評価する教官も大変だと思います。それらを経て PIC(Pilot in Command = 機長)としての能力を認められることになります。でも、ここからもまだ道は長いんです。

Q. 能力を認められても(!)まだ訓練が続くんですね?

今度は国家試験を受けることになります。操縦技量と筆記試験です。この国家資格は「定期運送用操縦士」というもので1ヶ月間寮に泊まり込みで口述試験とシミュレーターを使って行います。そして国家試験通過後もまだ続きがあります。

Q. 国家試験を合格して機長となった後も続くんですね。

はい。国家試験合格は「機長として乗務できる」という操縦ライセンスなので、その後はいよいよ左側の席(機長席。副操縦士は右側の席)に座って約4ヶ月間OJT訓練を行います。そして最終的に、お客さまをお乗せして定期的に乗務できる資格を得る最後の路線審査があります。

Q. 機長までの道のりは本当に長いですね。

しかも国家資格を取得した後も定期的に教官と一緒に乗務する定期訓練、そして国交省の審査官による審査があり、これらはずっと続きます。

Q. そこまで厳しく審査されていると乗客としてはとても安心ですが、パイロットの皆さんは本当にずっと勉強で、そして体調管理も大変ですね。ちなみに機長昇格訓練に不合格の場合はどうなるのですか?

機長昇格訓練は2回まで受けることが出来ます。ですから2回失敗すると機長になれません。

機長

機長としての乗務がスタート。フライトの総責任者としての緊張感、充実感は想像以上のものだった

Q. 島村さんは無事に訓練に合格し、昨年から機長として勤務されています。副操縦士時代と比較して一番大きな違いは何でしょうか?

一番は気持ちの部分ですね。こんなにも違うのかと思いました。副操縦士の時は何かあったとしても、運航中は全て機長が責任者となります。今、機長としてその責任の重さを実感しています。自分がリードして地上での事前の準備をしっかりし、スタッフと共に万が一のトラブルにも対処し、そして何事もなく一つのフライトを終えたときの充実感は副操縦士のときとは全く違います。離陸した後は航空会社の社長の代理として仕事をしているという自負を感じるようになりました。

Q. それは日々緊張感を持ってお仕事されているからですね。僕の海外出張はそのようなプロフェッショナリズムに支えられているのですね。機長として責任も増え大変だと思いますが、やりがいや充実感のある、まさに「憧れの仕事」と思いました。

そうですね。正直言って大変なことも多い仕事ですが、その分大きなやりがい、充実感のある仕事です。

Q. これからもお世話になります。今日はありがとうございました。

ありがとうございました。