脇 俊済
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2016-09-11
年齢31歳
出身地 東京都
結婚 独身
海外経験あり
職業 マーケティング
勤務地 東京都
会社名Supercell
出身校 早稲田大学
専攻 経営システム工学
3 Points
「好きなこと、熱意を持てること」を仕事にするという父親の影響を受ける
ITベンチャーで上場を経験。もう一旗揚げたい
家族や親戚づきあいの中に、キャリア形成につながる大きなヒントがある
幼少期
Q 脇さんの子供の頃について教えて下さい。
生まれは東京です。父親の仕事の都合で小2から小4までをアメリカボストンの隣のコンコードという町で過ごしました。現地では普通の小学校に通っていて、土曜日だけ日本人学校に通っていました。小4のときに戻ってきて、八王子で暮らしていました。ですので実質的な故郷は八王子です。なぜ両親が八王子を選んだかというとよくわからないのですが、多分その頃は多摩ニュータウンなどができて郊外に住むのが流行っていたんじゃないでしょうか。あとは父の職場が新宿だったので通いやすかったということもあるでしょう。
Q お父様のご都合で海外で過ごされたとのことですが、海外での生活はその後の人生に影響ありましたか?
海外生活そのものはあまり影響していません。それより、父は何度か転職していましたので「自分が好きな仕事、熱意を持てる仕事をやるもんだ」という父のスタイルを見て育ち、それがそのまま自分に影響していると思います。当時はそれほどそういう働き方はメジャーではなかったと思います。あとは父がIT業界にいたので、自然と自分もIT関係が好きになっていきました。それに加えて僕は性格的にある程度目立ちたがり屋だったので、小さい頃から一旗揚げる!という気持ちはあったかな。「社長になる」みたいなことを言っていました笑。
Q 小学校から塾に通っていたそうですね。中学受験のためですか?
中学受験はしていません。小5のときに親友が塾に通い始めたんです。それで何となく「塾って良さそう」と思いました。勉強は嫌いじゃなかったし、僕も行ってみたくなり、親に行かせてもらいました。周りの中学受験比率はあまり覚えていませんが、クラスで数人と言ったところでしょうか。
中学生
Q 公立の中学に通われたのですね。中学時代はいかがでしたか?
中学時代はなんというかいわゆる「ごった煮」の世界で、性格に合わないというか、心地よくなくて、学校生活はつまらなかった記憶がありますね。部活は陸上部でスポーツも好きでしたから、それなりに過ごしていて、浮いていたわけでもなかったと思います。その反面、中学でも通っていた塾は友達との会話も楽しくて、基本的に真面目な僕の性格に合っていたと思います。中学時代というと、塾の方がよく覚えています。
高校受験
Q 高校はどのように選んだのですか?
塾の進路指導を参考にして公立高校にしました。学校の指導はあまり参考になりませんでした。塾のほうが情報が豊富でしたね。両親は僕の性格を理解していて、基本的にはいい意味で放置状態でした(笑)。自分で決めて報告、という感じです。私立も受験していくつか良い学校にも受かっていたのですが、公立に行って国公立の大学に行くっていう(ちょっと親孝行的な)自分の中のプランもあって最初から公立に行くつもりでした。大学は結果的にそうなりませんでしたが... 高校は自宅から近く、チャリ通でした。
高校時代
Q 高校生活はいかがでしたか?
高校は中学と違って楽しくてクラスの友達も多かったです。部活はバスケ部で、今もクラスと部活の両方の友人とつきあいがあり、結婚式にも出ています。
Q 高校時代に将来やりたいことなどを考える機会はありましたか?
自然の仕組みを解き明かしたい!と思って物理学者(特に宇宙物理学者)か、経営者かどちらかにしようと思っていました。経営に関しては高校のときに父が勧めてくれた大前研一さんの本を読んでから興味が湧くようになりました。経営って面白いんだな、と。他にも父は色々と本を勧めてくれたのですが、その本は特に印象に残っています。だいたい勧められる本は無視してたんですが(笑)それでも3冊に1冊くらいは読んでいて、そのうちの1冊がその本でした。
大学受験
Q 大学受験はいかがでしたか?
プランしていた国立大は落ちてしまい、浪人してまで国立を狙う必要性も感じず、結果として私立の早稲田大学経営システム工学科に入りました。
ー 物理学者と経営者の2択で経営の方を選んだのですね。
はい。物理学科は受からないだろうな、と思って。そもそも物理学科に受かる受からないかということで迷っている時点で、その領域で有名になれるはずないな、と(笑)。やっぱり物理学者になるのはとんでもなく頭がいい人で、その中で活躍するのはさらに一握りだと思いまして、経営を選びました。
ー ギク。僕は勘違いして、思うままに物理学科に行ってしまいました。早く気づけば良かったです(笑)。
(笑)
Turning Point
大学院進学か就職か
Q 脇さんは大学院進学も考えられていたそうですね。
はい。とても漠然と大学院に行こうかな、と。でもその時父から「大学院に行きたいなら自分でお金を払いなさい」と言われて初めて自分の人生における「大学院進学」の必要性を真剣に考えました。父が僕に「カマ」をかけて自分でお金を払うように言ったのか、本気だったのかどうかは不明ですが、そのおかげで自分ごととして考えられて、結局大学院には行かず就職することにしました。やがて経営、ビジネスをするなら実務経験を早めたほうがいいと思い至りました。
就職 〜 コンサルティング会社
ー 就職先はコンサルティングの会社ですね。
はい。大前研一さんの本を読んでいたというのもあるし、経営工学科で周りの様子を見ていて決めました。元アクセンチュアの人達がやっているようなコンサル会社でした。
Turning Point
転職1 〜 AppBank社
ー その後、スマホアプリ紹介のメディア企業に転職されました。
はい。設立初期のベンチャー企業で大変な面もありましたが、株式公開まで行けましたし、結果としては良かったですね。
ー 株式公開は貴重な経験ですね。
はい。ただ、昔から考えていた「一旗揚げよう」というレベルには自分の中ではまだ達していません。自分が経営者になるという考えも当然ありました。
Q それで AppBank 社を退職されて、海外留学を検討されたのですね。なぜ起業ではなく留学を考えたのですか?
はい。勉強して海外留学をしようと思って退社しました。そして受験のタイミングとは関係なく、極力早い段階でアメリカに住んでしまおう、とも思っていました。起業しなかった理由は、何かスマホ関連で起業を、と考えたとき、その時点で「これだ」と思うものがなくて。。それなら今は情報を吸収する時間にしようと思いました。その一つの手段が留学でした。
Turning Point
転職2 〜 Supercell社
Q しかし留学はせず、外資系のゲーム会社に入社されたんですよね?
そうなんです。留学について色々調べているうちに、もし合格したとしても入学が1年半後になるということが分かって、その間勉強し続けるのもどうかと思って、どうせなら(留学を見据えて)英語が使える職場で働くのもいいなと考えていたら、 たまたま前社で取引のあったSupercell社にご縁がありました。ちょうど新しいゲームが出る直前のタイミングで「このゲームをマーケティングしたい!」とシンプルに思えたのが大きいし、 前社での取引を通して、挑戦してみたい仕事がそこにある確信もあったので、入社しました。そして現在に至るという感じです。
近況と訴えたいことなど
ー 脇さんは事前アンケートで今後の人生を「ある程度予測できる」とご回答されていますね。
はは。そうですね。今までを振り返ると大体思った通りになっているなと思いまして。大学時代はコンサルがいいなと思ってコンサル会社に入り、その後、やっぱりITベンチャーでしょ、と思って設立初期のITベンチャーに入り成長させて株式公開まで行ったので、子供の頃から思っていた「一旗揚げる」という漠然とした目標も思ったよりも早いタイミングで達成できました。思ったよりも個人的にかなり小規模な「一旗」ではありますが、最初に入ったベンチャーが上場するっていうのは凄いことですし、自分でも頑張ったので、不満はなく、だいたい30歳までに思っていた事ができた、という感じです。Steve Jobs の「Connecting Dots」を感じられる経験もありました。今後についてはざっくりとしか考えていないんですが、、、元々物理が好きだったこともあり、突然飛躍するようですが「月に行ってみたい」と思ってます。
ー 月!
はい。僕が50歳〜60歳になる頃には月に行くのが当たり前になっていてほしいなと思っていて、その頃までに5億〜10億集めれば、月関連ベンチャーを立ち上げられるんじゃないかと思っています。すでにイーロン・マスクや堀江さんがものすごい頭脳とものすごい資金で宇宙ビジネスをやっていますが、それは僕には無理だと思ってるので、その人達が切り開いてくれた更地にビジネスを立ち上げて行けるんじゃないかなと思っています。その頃には55歳とか60歳で月に行って、もし死んじゃったとしても、まあいいかなと。その50歳、60歳までに資金ができるようにそれまでにもう一回大きいことをするっていうことを考えています。
Q それまでの計画はあるのですか?
いえ。きれいな計画があるわけではありません。ただ、今いる環境で得られるものを自ら積極的に取りに行って、一つ一つ真面目に取り組んで吸収していくということでしょうか。それを日々感じています。最初はこの会社に数年いて起業かな、と思って起業準備に入ろうかと思っていましたが、意外と中にいても結構凄いこと出来るぞ、と。逆に「今の」この環境でしかできないことをしっかりやって、自分の目標につなげていこうと思っています。50歳、60歳でそうなっていなかったら、またそのときに考えればいいや、と(笑)。
ー 最後に何か訴えたいことがあればお願いします。
そうですね。僕の場合は家族や親戚づきあいが人生設計、キャリア設計にとても大事だったということでしょうか。脇家は親戚がたくさんいて、時々集まる機会があります。でも段々諸事情により集まりに来なくなっちゃう従兄弟達も中にはいます。なんとなくおじいちゃんおばあちゃんが可哀相という気持ちがあり、僕が長男とうこともあって積極的に集まりには顔を出していました。年に1〜2回集まっておじいちゃん、おばあちゃんの顔を見る、従兄弟とご飯を食べる、ということを5年、10年とやってきて気づいたことがありました。皆自分の性格や文脈を知っているから色々なアドバイスも貰えるんです。困ったことを話して、叔父さんに相談に乗ってもらったり、たまたま興味のある分野の経験を持っている親戚の人に話を聞けたり。
ー メンタリングの原型ですね。
はい。「助けてくれる人がいる」という感覚はとても大事だと思いました。それと、社会に出てから、しつけや人との接し方などが結構人によって違うなと感じることが多かったです。変な嫉妬があったり、歪んだ反骨精神を持っている人がいたり。。それらはその人達のパワーにはなっていると思いますが、会社の成長とは一致しておらず、そういう人たちはどこかで限界が来るのではないかと思いました。僕の場合はそれらを親戚づきあいの中で自然に身につけられる機会が豊富だったので、幸運でした。
ー 脇さんはまだお若いですが経験豊富なので、脇さんよりさらに若い人たちへ向けてメッセージがあればお願いします。
そうですね。キャリア形成における情報の大切さでしょうか。よくある「夢を持て」「思えば叶う」「とりあえずやってみろ!」「気合だ!」みたいな話もある程度は必要だと思いますが、僕はあまり正しいと思いません。世の中のほとんどの人は僕も含めて孫さんのような人じゃないですよね。だから「何をしたらいいのか」「転職した方がいいのか、そうじゃないのか」「社外の活動は何をすればいいのか」などの情報を集めることが大事だと思います。本は良いと思いますが、インターネットではなくて出来れば経験している人に直接会って話を聞く、ということが大事だと思います。自分の文脈を伝えた上でアドバイスを貰うのが一番です。ある程度の答えはあると思っていますから、是非オススメしたいですね。
ー 脇さん、今日は貴重なお話を有難うございました。
ありがとうございました。