吉村 孝希

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  • 年齢27歳

  • 出身地 千葉県

  • 結婚 独身

  • 海外経験なし

  • 職業 放射線技師

  • 勤務地 東京都

  • 会社名非公開

  • 出身校 慶応義塾大学

  • 専攻 教育学部

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3 Points

自分自身で選んだことじゃないと、やる気や集中力が沸いてこない

どの知識を身につけるかではなく、どんな知識やスキルでもゼロから勉強して獲得する姿勢が大事だと思った

近い将来ずっとやりたかったベンチャー企業で働きたい

岩田真一

聞き手

岩田真一

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中学生まで

Q 吉村さんは千葉県のご出身とのことですが、地元の様子やその頃について教えて下さい。

生まれは千葉ですが、小学校3年生から5年生の終わりまで父の仕事(医師)の関係で群馬県にいました。5年生の終わりにまた千葉に戻ってきました。住んでいた場所は建物もあまりなく田んぼの多い場所でした。以来ずっと社会人になった今も実家暮らしです。

Q 中学受験をされたんですよね。経緯を教えて頂けますか?

そもそも群馬県から千葉県へ5年生の終わりに戻ってきたのは、父の都合もあったと思いますが、半分は僕の受験のためだったのかもしれません。良い進学塾があるという理由で。戻ってきて6年生になった時、塾に行くよ、と言われて特に何も考えることはなく通っていました。よくわからないけど頑張ろう、頑張らなきゃ、と思いました。6年生になってから塾に通い始める子はちょっと遅くて、最初はついていくのが大変でした。

Q 中学受験のためだと言われていたのですか?

いえ、特に具体的には聞いていなかったと思います。最初に受けた模擬試験で結果が良かったので、それでどこの中学に行ける、という話になり、何となく受験するんだな、と思うようになりました。ですから自分からすごく受験したいとか、特定の中学校に行きたい、ということはありませんでした。結果的には受験をして茨城県の中高一貫の私立校に通うことになりました。

高校時代

Q 中高一貫ですから高校受験はせず、そのまま高校まで通ったんですよね?

はい。でも今思うと高校受験があったほうが自分で考えられるからいいのかな、とも思います。中学受験の時はまだ何も考えられませんでしたから。でもその時はとりあえず勉強頑張っておけば問題なく、悩みもないまま中高の6年間を過ごしました。校則は厳しかったですが、のんびりした生活でした。

Q 大学受験に関してはいかがですか?

成績は良い方だったので東大を目指すクラスにいました。東大は失敗して、合格していた早慶のうち慶応大学に通うことにしました。教育学部です。

Q お父さんが医師ですから医学部を勧められたりはしなかったのですか?

今思うと受験の時は何となく医学部をほのめかされた記憶があります。高校2年生の時に文系か理系かを選択する必要があったのですが、親からは好きにしていいよ、と言われたので何気なく文系を選びました。でも、実はつい最近も親から「理系に行って医学部に行けばよかったね」と言われます。

Q ご自身ではどうですか?理系、医学部にすればよかったと思いますか?

いえ。そうは思いません。医師である父を見ていて大変そうだな、という印象があったからでしょうね。何となく楽しくなさそうな気がしました(笑)。父も子供のために自分をロールモデルとしてアドバイスできるから僕にも医師が良いと思っていた、ということだと思います。とは言え自分で強烈に何かやりたいことがあったかというと、それもありませんでした。

吉村さんは卓球がお好きですよね。大学では体育会卓球部とお聞きしています。

はい。中学校から部活動でやっていました。ただ高校まではコーチもいなかったですし、そんなに強くはありませんでした。

Turning Point

大学時代

Q 大学に入って厳しい体育会で卓球をやろうと思った理由は何ですか?

大学に合格しても特にやりたいこともなかったんです。卓球は上手くはないけど中学高校とやってきたので、もう少しちゃんとやったら面白いかなと思いました。入学式の当日にスーツのまま卓球場に見学に行きました。先輩が練習に誘ってくれて、その場で練習に参加しました。その後何度かオリエンテーション期間中に練習に参加したのですが、練習が激しくて圧倒されました。高校までの練習とは全く違い、まず練習メニューがしっかりしていました。そして皆ミスしないので、ずっとボールの打球音が響き渡っているような状況でした。上下関係はちゃんとしていましが、理不尽に厳しいということはありませんでした。ちゃんとしっかり卓球を練習したいという僕の希望が叶えられそうで、入部を決めました。思えば自分の人生で、初めて自分の意志で決断したのが大学での体育会卓球部への入部でした。

就職活動

Q 卓球漬けの大学生活だったんですね。就職活動の状況を教えて下さい。

大学3年の10月くらいに卓球の大会が終わってからぼちぼち説明会に出席し始めました。教育学部だったのですが、特に教育系に絞ってはおらず幅広く見ていました。興味のある会社の社員に話を聞いたり、合同説明会でブースを訪問したりしました。新卒として就職したのはビルのエレベーターのメンテナンスをやっている会社でした。

就職

Q そのお仕事はいかがでしたか?学生時代に抱いていた社会人のイメージとのギャップを感じられた場合はそれも教えて下さい。

仕事としてはビルのオーナーさんへの営業がメインでした。正直、営業ってよく分からないな、と思ってしまいました。エレベーターのメンテナスってそれほど差が出ないので、営業の力というよりエレベーター会社の子会社ということでお客さんが選んでいるんじゃないか、と。特にお客さんにも思い入れがあるわけでもありませんでした。当然会社にも思い入れがなく、営業なので同僚との間も競争意識が強くて割とギスギスしている感じで、あまり自分には向いていないなと感じていました。学生時代に抱いていたイメージとのギャップというか、違いは、営業ということもありますが、あまりフランクに話が出来ないな、ということでした。大学では先輩や後輩とも(もちろん先輩には敬語ですが)ざっくばらんに話ができたのですが、職場では何となくお互いをライバル視するようなところがあって、なんか自分に嘘をついているような気がしました。

Turning Point

2年で退職

その会社はちょうど2年で退職されました。

元々いつか辞めるだろうなとは思っていましたが、そのときは自分の意志というより退職を勧められたのです。ちょっとショックでしたが、結果は同じだっただろうなと思います。その時に初めて自分が自ら選んだことじゃないとやる気も集中力も湧いてこない、ということを実感しました。それまではいわゆる「敷かれたレール」に乗っていたと思いました。勉強は好きだったし、数値で結果が出るので楽しかったし、それさえしていれば何となく安心していました。でも社会人になったとき、僕が苦手な人付き合いなど、数値以外の部分がとても大事だということを認識しました。

Q その後、放射線技師を目指すことになりますよね。その経緯を教えて下さい。

退職の時点では放射線技師は考えていなかったんです。以前からずっとベンチャー企業にとても興味があったので、転職先としてベンチャーをあたっていました。その時とあるベンチャー企業の創業者に出会い、彼に惚れ込んでしまいました。早速応募し内定をもらうことができてとても嬉しかったのを覚えています。

Turning Point

放射線技師を目指して専門学校へ

Q でも結局そのベンチャー企業には行かなかったんですよね?

はい。理由は両親に猛反対されたからです。それに反論できなかった理由は、今思うと、退職で精神的に疲れていたこと、ずっと囁かれていた医療職もまだ年齢的に目指しても間に合うだろうという気持ち、そしてなにより、自分自身を信じきれていなかったということ、などが重なっていたからかなと思います。そして改めてよく考え、放射線技師になるための専門学校に行くことにしました。

Q 放射線技師の専門学校での勉強はどうでしたか?

もともと文系でしたから、物理などの知識がありませんでした。でも、一生懸命勉強して、だいたいのことが分かって卒業できたのは、これまでの学校での勉強や受験勉強を通して、勉強のやり方の基礎があったからだと思います。この時、勉強する基礎を身に付けていたことは無駄ではなかったと思いました。きっとこれからも知らないことにぶつかり、それをその都度勉強して知識を獲得して、実践を通してスキルを高めていくことの繰り返しだと思います。何もわからないことをどうやってゼロから知るのか。流れの早い現代だからこそその姿勢が大事だと思い至り、それが分かって少し安心できました。わからないことにぶつかったり、環境が変わってしまった時でも「勉強して、また身に付ければいいじゃん」と思ったら気が楽になりました。

高齢者専門の病院に放射線技師として就職

Q 見事国家試験を合格されて、今は放射線技師としてお仕事されていますね。就職先の病院はどのような基準で選ばれたのですか?

病院選びの決め手になったのは、装置が豊富で様々な検査が行われていた点です。あまり放射線技師が忙しくない病院もあるのですが、そこは忙しそうで、きっと技師としてのスキルの向上にも繋がると思いました。

Q 今回明確な目的を持って専門学校で勉強されたわけですが、それまでの勉強と違いましたか?

やはり実践的な知識は身についていたのは良かったです。ただ、どの仕事も同じだと思いますが、やはり当事者として現場に配属されると、実習の時とは違います。現場でとっさに必要な知識や、特に医療職としての「良識」のようなものが実は一番大事だった、と就職してから思いました。専門学校でも患者さんとのコミュニケーションに関する「ペイシェントケア」という授業がありました。なぜ検査の前に毎回患者さんのお名前と生年月日を確認する事が重要なのか、ということなどを学ぶんです。専門学校時代、僕はその部分を軽視していてあまりキチンとやらなかったのですが、現場ではとても重要でした。配属されてすぐの時は、先輩から注意されている意味もわからなかったんです。何度も何度も同じ指摘を受けて、ようやく段々分かるようになってきました。

Q まだ入社して5ヶ月程度ですが、今のところ概ねいかがですか?

みな優しく面倒見が良いので働きやすいです。以前の営業職と違って、一緒に仕事をする仲間、という意識が強いせいだと思います。助けあって頑張ろう、という。一番大事なのは患者さんだという共通認識というか医療職としての良識を共有していることもあるでしょうね。とはいえ、ベンチャーへの憧れは消えたわけではありません。せっかくですから放射線技師としてのベーススキルや知識、現場での経験というものをしっかり身につけ、それを活かした形で将来的にはベンチャー企業に関わりたいという夢もあります。

一度やりたいと思ったら、なかなか諦められませんよね(笑)。今の特殊な立場を活かして進まれることは今の仕事の励みにもなりますね。

はい。職場環境もいいので今はこの仕事を頑張ります。