レポート: 未来スケープ発足の背景(8) 〜 競争社会は殺伐としているのか?

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競争社会は殺伐としているのか?

競争と聞いて「他人を蹴落とす」といった殺伐としたイメージを持つ人がいるかもしれません。

ここではスポーツにおける競争と比較してみたいと思います。ビジネスなどの社会活動もスポーツと同じで自分自身の問題である、という心の持ち方です。するとビジネスもスポーツと同様ルールに従って、仕事で自分が最大限に努力し、事業のために正しいと思うことを為し、自分以外の人たちも同様に行動すると信じ、その結果として一番良いものが採用されるというシンプルな考えが理想的な基盤としてあることになります。

企業に就職する時に「入社したからもう安心。適当に仕事をして給料を貰おう」などと考えている人は多くはないでしょう。会社のために頑張って働こう、と思っているのではないでしょうか。そうであれば競争と言っても何ら殺伐とすることはないはずです。日本語では「切磋琢磨」という言葉に置き換えたほうがいいかもしれません。時には他部署との連携や企業全体の最適化のために個としての自分の正しさを妥協をすることもありますが、それもチームワークで競争するスポーツになぞらえることができます。確かにビジネスの世界はスポーツと違い、ちょっとした情報、取引先の状況、上司の判断などの影響を受けるため、そこまでルールがシンプルではありませんし、終身雇用に基づいて働いているサラリーマンであれば定年まで続く同僚との関係性や派閥の力関係なども意識しなければ、出世するという目的からは遠ざかってしまうこともあるかも知れません。Securityを得るためにトレードオフとして要請される閉じた環境における生きる知恵と言えるでしょうか。

また承認欲求も個人が自分と対峙し続けなければならない問題です。

いずれにしても制御不可能な外的要因に一喜一憂するよりもスポーツに近い態度で最善を尽くす、という心の持ち方が大事なことだと考えます。競争を恐れるより全力を尽くすことに集中するということです。スポーツにおける競争を「殺伐としている」と感じる人は少ないと思います。私はビジネスの世界でもこのような正しい競争、切磋琢磨が起きるのは人材の流動性が高まったときではないかという仮説を持っています。

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