柴田 朱美

0006

  • 年齢46歳

  • 出身地 埼玉県

  • 結婚 既婚

  • 海外経験あり

  • 職業 専業主婦(夫の扶養範囲内でアルバイト)

  • 勤務地 東京都

  • 会社名非公開

  • 出身校非公開

  • 専攻非公開

Image Title

3 Points

両親から一生付き合える友人の大切さを教わる

総合商社を結婚退職後、家庭優先で時々仕事

趣味の手芸やクラフトを続け他人に教えるレベルに

松野百合子

聞き手

松野百合子

Read more


高校生まで

Q 柴田さんは高校時代、どんな将来の夢を持っていましたか?

私は小学校時代から学校の先生になりたかったんです。あこがれていた担任の先生がいて、その頃からずっと。だから勉強も頑張って結構優等生だったんですよ。それが高校で落ちぶれてしまって(笑)。高校は豊島が岡女子学園に進学しましたが、進学校なので、その中では中学までの自分がリセットされしまう感じでした。先生になるという目標もいつか忘れ、楽しく学生生活を送っていました。部活はテニス部でした。

大学時代

Q 大学進学にあたって、大学・学部などの進路をどのように決めましたか?

大学進学の直前に、アナウンサーになりたいと思うようになりました。また、航空会社の地上職にも興味があったので、どちらにしても英語が役に立つと思い、外国語学科のある大学を選びました。

Q 大学時代に留学されたのも英語を磨くためですか?

はい。ただ私の場合は夏休みだけの短期留学ですので、英語をしっかり身に付けるためには1年くらい長期留学をする方が良いと思います。

Q 長期留学を選ばなかったのには理由がありますか?

両親が、大学の制度の留学しか認めてくれなったので、そうなると短期しかありませんでした。学内の選考試験を通って、サウスダコタ州の学校に一か月半留学しました。

Q サウスダコタ州ですか!結構田舎ですよね。カルチャーショックはありましたか?

歴代大統領の顔が彫ってある有名な岩山「ラシュモア山」のふもとの町にホームステイして英語研修を受けました。カルチャーショックはありましたが、同年代のお子さんのいるホストファミリーだったので、あちこち連れ出してくれて楽しかったです。牧場で乗馬をしたり、銃を撃たせてもらったりしたこともありました。本当に何もないところで、治安もとてもよくアメリカなのにドアに鍵もかけずに出かけてしまうんですよ。 玉川大学の校風か、語学留学なのにニューヨークでミュージカル鑑賞といった芸術プログラムも含まれていましたね。

留学は充実したものだったようですね。

就職

Q 就職活動は大変でしたか?

結構頑張ったのですが、ちょうど私の就職活動直前にバブルが弾けて、少し前に就職した夫は山のように内定をもらっていたのに、私の時にはとても厳しかったです。特に女子は、コネをつかっても内定をもらうのが難しいほどの状況でした。私の希望していたアナウンサーはもともと狭き門でしたし、航空会社の地上職も募集自体が減って難しいと言われました。その一方で、当時付き合っていた今の夫が大手商社で勤めていて、話を聞いて商社の仕事が面白そうだと思いました。

身近な人の職業は具体的にわかりますが、そうでない仕事は学生にはなかなか想像がつかないですよね。

本当にそうです。私の場合は親が会社を経営していて勤め人ではなかったですし。

Q ご両親は柴田さんの就職についてご意見やアドバイスがありましたか?

特になく、私に任せてくれました。私が言うのも変ですが、私の親は経営者としての人間力があるんです。大学進学の時も、大学は一生付き合える友達ができるところへ行きなさいと言われました。若いころは親に反抗したものですが、親から学ぶところは多かったです。 結局、夫の会社含め事務職採用をおこなっていたすべての商社に応募し、夫とは違う住友商事に採用されました。商社志望の学生は、みな複数社受けているので、試験会場でも一緒になるのですが、どんな人材を採用するかで各社のカラーがあることがわかりました。入社してみると、なるほど・・・と納得しました。

Q 例えば、柴田さんの就職された商社はどんな人を採っていましたか?

女性なら、わりとおっとりして見えて実はしっかり働くタイプでしょうか。

商社勤務

Q 会社勤めは、就職前のイメージ通りでしたか?

全然違いました。私の中では総合商社勤務イコール素敵なオフィスレディというイメージだったのですが、バリバリの鉄鋼部門に配属されてかなりハードな仕事でした。実は、商社勤務の夫からは就職活動当時は、絶対商社はやめろ、就職が決まってからは、管理部門を希望しろ、と言われていました。私は夫にそう言われたことに反発して、営業をやってみたいです、と部署希望面接で希望を出したのです。そうしたら、鉄鋼部門で毎日残業し、夫より遅く帰宅する日々が続きました。ただ、鉄鋼部門には気の合う人が多く仲の良い人がたくさんできました。

Q 結局あっていたんですね。

はい、その通りです(笑)。仕事はとても充実していて、よく働き寸暇を惜しんでよく遊びました。

結婚-派遣社員

Q その頃ご結婚されたのですよね?

就職してから2年半後に結婚することになりました。当時うちの会社では結婚イコール退職で、報告するとすぐに退職の手続きに入りました。退職後はすぐその商社の派遣会社に登録を勧められ、派遣社員として生活物資経理という部署で毎日4時まで働くことになりました。

夫の転勤で静岡へ

Q 派遣での勤務をやめたきっかけは何ですか?

夫が静岡に転勤になったので、ついていきました。あちらにはお友達もいないので、最初の頃は寂しくて夫が帰宅すると思い切りトークしていたので、働けば?と言われた程です。私も仕事を探そうとしたところで、ちょうど妊娠したことがわかりました。

Q ご出産はどちらで?

実家のある埼玉です。静岡でも主人は年の半分くらい出張だったので、留守になるたびに実家に戻っていました。出産後もそんな状況だったので、うちの息子はすっかりおじいちゃん子です。主人はその当時息子と時間を過ごせなかったことを取り戻そうとして、今はちょっと構いすぎのところもあります。

Q 子育てのベースは東京ですか?

いえ、静岡です。子供ができてから転勤組の人たちを中心に現地で親しくできる人たちも増え、家族ぐるみでお付き合するなど充実した生活をしていました。主人が東京本社に戻ってからは今までずっと東京で暮らしています。

東京へ戻り子育て

Q 子育て中はどんな生活でしたか?

私は10年間専業主婦をしていましたが、ずっと家の中にいるのはあまり向いていなかったので、子供を連れて積極的に出かけていました。幼稚園では役員などをよくやりました。私の母も父の会社の経理をしていて、いわゆる普通の専業主婦ではなかったんです。

Q 柴田さんは趣味のスタンプアートをかなり極めていらっしゃいますが、出会ったきっかけを教えてください。

子供が小さい頃に時間を持て余して出歩いている時、浅草橋のイーストサイド東京というところで色々な手芸やアートのワークショップを開催していて、ある時スクラップブッキングのクラスに参加してみました。そこで素晴らしい先生に出会い、その先生の主催するスタンプを使ったアートの教室に通うようになったんです。以来、ずっと続けています。

Q もともと工作などがお好きでしたか?

はい、子供の頃から手作りが大好きでした。最近では、息子の学校の保護者の方々向けにボランティアでスタンプアートのワークショップを開催しました。先日昔のノートが出てきまして、そこに「35歳までに自宅でお教室を開く」という目標が書いてあったんです。自分では書いたこともすっかり忘れていましたが、気づかない間に夢がかなっていたんだな、と思いました。時間はすこし余計にかかりましたけど。息子は今高校生で直接私には言いませんが、私が趣味を広げていることを私の見えないところで自慢していると主人から聞きました。

国際経済交流団体で派遣勤務

Q お仕事の方も再開されたんですね?

結局、息子が小学校1年生の時に以前お世話になった商社の派遣会社の紹介で働き始めました。国際経済交流に関する団体で事務の仕事を週2日担当しました。この仕事で出会った方々は本当に素晴らしい方が多く、お仕事も楽しかったです。事務局長さんも個性的で楽しい方でした。こちらの仕事は勤務先の事情で7年ほど働いた後に辞めました。ちょうど息子の受験もあり、しばらく家のことに専念することにしました。

Q 海外赴任はありませんでしたか?

主人は商社マンには珍しくほとんど赴任や転勤のなかった人なんです。ですが、今年急に海外赴任の話が出てきて初めて夫婦で海外赴任するかどうかという話になっています。今年中に家族を伴っての駐在が可能かどうかわかる予定なのでそれから判断するのですが、息子は日本に残りたいと言うので、ついていくとしたら私一人です。ただ、私の両親は、「そんなに遠いところに行ってしまったら、私たちに何かあってもすぐに駆けつけてもらえない」と距離があることを不安に感じてもいるようです。

ついていく場合は外国でまた新しい生活になりますね。

友人には、「現地で駐在員の奥さんたちにスタンプアートを教えたら?」と勧められました。

確かに、どこでも教えられて、色々な人とネットワークできるご趣味ですね。海外にいらしたら、ますます活動の幅が広がりそうです。

ただ、私も一応商社マンの妻なので、あまり主人の人間関係に影響を与えるほど派手にはできないと思いますが(笑)。