渡辺 稔文

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  • 年齢52歳

  • 出身地 北海道

  • 結婚 既婚

  • 海外経験なし

  • 職業 通信業

  • 勤務地 北海道

  • 会社名北海道総合通信網株式会社 (HotNet)

  • 出身校非公開

  • 専攻 経済学部経済学科

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3 Points

入社後、約束されたはずの希望の職種に付けず挫折

常に立ち上げ時期のルールが確立する前の会社を選んで、自ら企画していく楽しさ

今の50代は「自分で自分を守れ」と言われ始めた最初の世代

岩田真一

聞き手

岩田真一

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地元について

Q お住いはずっと北海道ですか?地元について教えて下さい。

はい。ずっと(今も)北海道です。大学受験のため札幌の予備校へ通うまでは、いわゆる田舎で育ちました。最盛期で人口4万人ほどの町で、鉱山が閉山して1万人減り、そこからさらに1万人が減っているんじゃないでしょうか。水産業、酪農、観光が基幹産業で、父も水産加工業を営んでいていました。

中学校時代

Q 高校受験はどんな感じでしたか?

「地方」なので全国的に見ると相対的には学力は高くなかったと思います。とてもゆっくりしている環境でした。高校も地元には2校しかなく、受験はしましたが、競争という感覚はありませんでした。みんなどちらかの高校へ行くという感じで、中学に進学するのと大差ありませんでした。ただそれは振り返ってみて初めて分かることで、当時はそれが当たり前だと思っていました。都市(札幌)に出てきて初めて、レベル感の違いを知ることになりました。地方にいて、中学生、高校生の時点でそこに気づくのはとても難しいと思います。

高校時代

Q 高校生活はいかがでしたか?

演劇部に所属していてとても楽しく過ごしました。演劇の大会が3年生の10月〜11月頃にあるので、受験勉強もそれほどした記憶はありません。

Q 大学進学または将来について、その頃考えていたことを教えて下さい。

あまりちゃんと考えていなかったですね。何を勉強すればよいかも分からなかったし、選べるほど勉強していなかったとも言えます(笑)。芝居も好きでしたが、芝居で食っていくのはまともにやっていてもまず無理、という現実的な考えはありました。ですから、普通に大学に行って、普通に就職するのがいいと思っていました。今振り返ると、社会人になってみると昔ほど大学の格差のようなものは無いので、地方出身者としては一番最初のところでちょっと損しているのかな?と思う程度です。

大学受験

Q 大学や学部などはどのように決めましたか?

つぶしがききそうな経済学部に入りました。当時はバブル時代ですから、今のような数字を使った経済学というより、観念に近いことをやっていましたね。大学時代も演劇やお芝居関連の活動は続けていました。

Turning Point

就職活動 〜 ケーブルテレビ会社入社

Q 大学卒業と就職にあたり、ご両親は渡辺さんの就職に対してどのようなご意見をお持ちでしたか?

一番最初は地元の公務員が希望でしたね。市役所に入れ、と。おそらく帰ってきて欲しいという気持ちもあったと思います。

Q でも渡辺さんは地元には戻らず札幌で就職されましたね。ご両親はどのような反応でしたか?

話し合いました。一旦都会に出て物事が見えて来て、かつ先々を考えると地元に戻るという選択は無いだろうということになりました。ちゃんとした就職先であればいいんじゃないか、ということでした。

Q 渡辺さんは現在北海道の通信会社で勤務されていますが、転職されていますよね。まずは新卒時の就職について教えて下さい。

大学卒業時は今の仕事(通信会社)をしているとは全く思いませんでした。一番最初は新卒で北海道のケーブルテレビの会社(のちのJ:COM)に入りました。

Q ご両親はどのような反応でしたか?

いわゆる第三セクターの会社で、資本だけは膨大にありました。同社に出資している会社も北海道の上から何番目、という会社が軒並み出資しており、それを見て親も安心したようでした。

Q なぜその会社を選んだのですか?

事業開始のタイミングだったので、面白そうだったからです。準備会社はあったのですがちょうど開業ということで新卒を採用していました。そして大企業っぽくなく、ルールが決まっていない「遊び」や「隙間」がありそうで、好きなことも出来そうだったからです。

Q 具体的にどこが面白そうだったのですか?

ちょっと若気の至りもあるのですが、とにかく「普通の営業」は絶対やりたくないと思っていました(笑)。企画っぽいことをしたいと。ケーブルテレビの会社なので、地域の番組を独自で制作する、という企画が当初からありました。取材をして番組を作る、そういう仕事をしたくて、その会社を選びました。

Q それは希望通りになりましたか?

いえ。。ここで大きな挫折を味わいました。入社後の3ヶ月は研修ということで営業も学んだのですが、研修が終わった時に「君には営業で頑張ってもらうから」と言われて愕然としました。てっきり研修後は希望通り番組制作へ配属されると思っていたので、これはショックでした。

Q それは辛いですよね。と同時によく聞く話でもありますね。話が違うからと言って、就職はやり直せませんし。営業のお仕事はどうでしたか?

ケーブルテレビなのでお客さんは一般家庭になります。法人営業と違った辛さがあります。今はJ:COMと言えば知られていますが、当時は新しいもの好きでリテラシーも割と高い方々を「ローラー」というやり方でとにかくご家庭を回って営業しました。

Q 本来やりたかった仕事内容では無かったわけですが、辛かったこと、今の仕事で役に立ったことを教えて下さい。

辛いことと言えば怖いお客さんの対応ですね。法人営業とは違い、色々な方がいらっしゃいますので、脅されたり、それこそ「ぶっ殺す」と言われたり。これは相当鍛えられました。個人顧客対応には、適性と耐性の両方が必要だと思いました。一方、このつらい経験がまさに今の仕事(個人顧客相手の通信会社)の基礎としてとても役立ったと思います。

やはり何事も「筋トレ」期間は必要ということですね。

はい、そう思います。思い通りにならなかったことでも一生懸命頑張ることで、経験として活きるということを、後になってから実感しました。

Turning Point

転職1

Q それでは、渡辺さんのご転職についてお聞きします。最初のご転職はPHSの会社と伺いました。経緯を教えて頂けますか?

8年ほど経った頃、務めていたケーブルテレビの会社の上司が先にPHSの会社に転職したんです。「いずれ呼んでやる」と言ってくれていて、それほど期待していなかったのですが、実際に声をかけてくれました。

Q 転職の動機は何だったのでしょうか?

一番大きい理由は収入面です。結婚が早かったのですが、結婚7年経っても一向に給料が上がらず、共稼ぎを辞められない状況でした。とにかく暮らし向きを向上させたいと思いました。転職で給与水準は上がりました。

Q 積極的に転職活動をしたわけではないのですね。

はい。給与面で不満はありましたが、自分で選んだ会社ですし、会社自体は好きでした。元上司に呼ばれなければ、おそらくそのままケーブルテレビの会社にいたと思います。皮肉な話ですが、その後その会社はJ:COMに買収されて、そこからは給料も上がったようです。転職しなくても給与水準という意味では、今思うと変わらなかったのかな、と思います。ただその次の転職(現職)へ結びついたという意味で転職は良かったと思います。

Q PHSの会社への転職に際し、給与の他に動機はありましたか?

そうですね。転職するなら長く続けるつもりでした。やはりこのPHSの会社も立ち上げのタイミングでした。前職と同様、これからルールが決まってくるという状況で出来そうだと思いました。

立ち上げ時期の会社を選ぶ、という点では一貫していますね。

そうですね。もともと芝居が好きだったからかも知れませんが、企画、プロデュース、みたいなことが好きなんだと思います。自分が主体でなにか立ち上げられる余地がありそうなところに興味が向いていたと思います。実際、PHSの会社では、どさくさに紛れて(笑)色々とサービスを立ち上げたりできました。

Q 前の会社と比べて仕事の面ではどうでしたか?

前職と同様顧客対応の仕事でしたが、仕事内容としては慣れていたのでだいぶ楽になったと思いました。怖いお客さんが少なかったのも大きいです。ただPHSの事業自体が継続せずに3年ほどだった頃、事業を収束する事になりました。親会社(現職、北海道総合通信網株式会社)への転籍が決まっていました。(PHS事業はその後2004年に終了)

一般の人達もPHSではなく携帯電話を使うようになってきた頃ですよね。

はい。そこからは親会社のもとで数年かけて事業収束となりました。私はPHS事業から離れました。

転職2

その転籍が2回めの転職ですね。今度はご自身の意思ではなく会社都合でした。

はい。ちょうどその頃、個人的にパソコン通信を始めたり、趣味のインターネット関連の仕事になり、たまたま趣味嗜好が仕事とマッチしてた実感がありましたので、良かったと思います。年齢的なものもありますが、この仕事は「無いと困る」系の事業で、長く働けるという思いもありました。

Q そして現在に至るわけですが、やりがいと大変なことはなんですか?

個人のお客様とのやり取りがダイレクトで聞けるところは楽しいです。大変なのはどこの会社もそうだと思いますが、中間管理職に色々なものが集中してしまうことですね。対社内的な調整が上と下と横(他部署との間)で発生して、それに時間が費やされてしまう面があります。何でもかんでもやらないといけないという感覚です。

Q 通信会社で仕事をする上での心構えやご自身の中での原理原則のようなものはありますか?

通信会社で働く人には、公共性とか「パブリックである」という使命感が一番大事だと思います。それは警察や自衛官などでも同じです。命に関わる電力事業もそうです(北海道総合通信網株式会社の親会社は北海道電力)。電力会社や通信会社を選択するときは給料というよりも、公共性の気持ちを持っていないといけないんだろうな、と思います。そういった会社も、その社員も、もっと存在意義を語るべきだとも思います。会社の不満を言おうと思えばいくらでも言えますが、そうではなくて事業について語ろう、と。そうじゃないと楽しくないし、きっと続かないと思います。

Q 振り返ってみて、また今のお仕事を考えてみて、伝えたい事はありますか?

振り返ると立ち上げ期の企業への志向があったので、東京に出るとか、ベンチャー企業(起業)という選択肢もあったとは思いますが、自分としては心地よいバランスだったと思います。永続的なインフラ会社に身を置いて、そこそこやりたいことを企画したり出来るのでちょうど良かったと思います。

Q 渡辺さんはご自身の将来について漠然とした不安がある、とアンケートでお答えになっていました。具体的にはどのあたりですか?

おそらく普通にサラリーマンをやっている人は漠然とした不安感はあるのではないでしょうか?定年で仕事が終わった後に生活が成り立つのか、という老後の設計の部分です。たとえば定年が60歳でそのあと64歳くらいまでは嘱託でいられるが、果たして80歳になったときに生活が成り立つような計画を持てるのか、という。そういう意味で、一人娘には親に頼らず独り立ちできるような進路を進めました。今は看護系の大学に通っています。自分たちがいなくなった後の子供のことを考えたりもしますね。

Q 生きていく力を身につけるということは大事ですよね。娘さんを含む若い世代に伝えたいことはありますか?

自分自身を守る武器やツールがあるといいと思います。それはできるだけ若いうちに意識した方がいいと思いますね。50歳近くなってから「自分を守れ」と急に言われても難しいと思います。そういう意味で、僕らの年代は「自分で自分を守れ」と囁かれ始めた最初の世代のような気がします。

本日は貴重なお話をありがとうございました。

ありがとうございました。