吉田 知広

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  • 年齢41歳

  • 出身地 東京都

  • 結婚 既婚

  • 海外経験なし

  • 職業 コンサルタント

  • 勤務地 東京都

  • 会社名アビームコンサルティング株式会社

  • 出身校非公開

  • 専攻 経営学部

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3 Points

一人で出来ることは少ない。学生時代から常に周囲に感謝してきた

新しい物を生み出すには時にリスクを取らざるを得ない瞬間がある

18年働いた信託銀行からコンサルティング企業へ転職した理由

インタビューの前に

18年以上勤務した信託銀行からコンサルティング会社に転職されたばかりの吉田さんのインタビュー。定年まで銀行で働き続けるつもりだった吉田さんが転職を決意した理由、学生時代から大切にしているチームワークに対する考え方についてお聞きしました。

岩田真一

聞き手

岩田真一

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小学校時代

外遊び中心の活発なスポーツ少年

Q. テレビゲームより外遊びが多かったそうですね

まさにテレビゲーム世代でしたが、小学校二年生から眼鏡をかけていたので、これ以上悪くなるのは嫌でしたし両親の意向もあって、外で遊ぶことが多かったですね。家にテレビゲームがなかったこともあり、家の中で遊ぶことはほとんどなかったと思います。

新興住宅地に住んでいたので、同年代の子たちで毎日集まって、鬼ごっこ、野球、キックベース、秘密基地作りなどをしていました。誰かのお母さんにご飯だよと呼ばれると自然に解散するような環境でした。

少年野球や少年サッカーにも参加するなど、スポーツ少年だったと思います。幼稚園から習っていた水泳は中学校まで続けました。

中学校時代

生徒会活動など自ら率先して手を上げる子だった。勉強も頑張った

Q. 中学では生徒会活動に取り組まれていたそうですが、自ら手を上げたのですか?またその動機を教えてください

目立ちたいというのは全くありませんでした。何となく皆がやりたがらないことや、誰もやる人がいなければ手を挙げるというタイプだったと思います。生徒会長と副会長に2年連続で自ら立候補しました。その他は合唱コンクールの指揮者などもやりましたが、同じ動機です。

Q. 生徒会活動で印象に残っていることはありますか?

生徒会新聞の発行など、生徒会のメンバーと一緒に一つのことをやり遂げるということが好きでした。生徒会室に行けば誰か仲間がいるという状況も楽しんでいました。このときから、一人でやることには限界もあるし、仲間と一緒に何かをするほうが良いと思うようになりました。

Q. 吉田さんの現在のお仕事に対する考え方につながっているのですね

そうだと思います。常に周りの人に恵まれていました。一人では出来ないことばかりです。

Turning Point

高校時代

学生広告論文のコンクールに2年連続で入賞。ここでもグループワークの楽しさを実感し、サポートしてくれた周りの人たちへ感謝

Q. 頑張って入学した高校での生活はいかがでしたか?

入学当初は高校受験が終わって少し気が抜けたことと、周りにたくさん優秀な同級生がいたことが重なって自信を失いかけた時期でした。部活動などもせず帰宅部でしたね(笑)。

Q. そこから抜け出したきっかけは?

現代社会の授業の一環で先生から薦められた「学生広告論文電通賞」のコンクールですね。グループを組んで応募したら全国第2位になったんです。賞金20万円と盾を頂きました。自分たちのやったことが認められたというか、価値を生んだ、という実感がありました。こういうことは初めてだったので、やる気も湧いてきました。

Q. 20万円の賞金は高校生にとってはインパクトありますね。価値を生み、対価を得る、という実体験は社会人になってから大いに役立ちそうです

はい。翌年のコンクールは授業として必須ではなかったのですが有志のメンバーで再度応募しました。この時は全国第3位になりました。必須ではないのに先生がとてもサポートしてくれたことを覚えています。

Q. 論文作成の中で面白いと感じた部分は何だったのでしょうか

データ解析にハマりました。論文のテーマは地場産業に関するものだったので、企業や地方自治体にアンケートを送り、それらを集計した結果から世の中のことを理解することが出来、とても興味深かったことを特に覚えています。さらに、自らの考えを述べたことに対する評価を得たことで自信が持てました。

Q. 高校生が企業と接触する機会はあまり無いですから貴重な経験でしたね

はい。そもそも学生のアンケートにちゃんと回答してくれるのかな?という心配もありました。何となく「社会」って冷たく厳しいイメージがあったのですが、どの企業や自治体からもお返事を頂けることが分かりました。中にはアンケートの最後に「頑張ってください」というメッセージを書いてくれることもあり、とても嬉しかったです。

ー 学生が(親以外の)現役社会人と触れるというのはとても大事なことだと思います

このときの体験があったので、自分も大人になったら世の中にちゃんと返そう、と考えるようになりましたね。

大学受験

高3の12月に理系から文系へ転向。時期が遅かったので大変だった

Q. 大学受験のエピソードがあれば教えてください

もともと理系で応用数学や情報系の学科を目指していたのですが、経営系学部への思いが更に強まったこともあり、冷静に考えて文系に変えることにしました。受験も差し迫った高3の12月のことです。

Q. 自分にも似た経験があります。文系から理系への転向でした。結構大変ですよね

そうなんです。時期が遅かったので文字通りもがき苦しみながら勉強したという記憶があります。

Q. 志望大学はすんなり決まったのですか?

文系とは言え数学系が好きだったので、数学の比重が高い大学を探していました。親と相談しているうちに、私立の理科系大学に経営学部があることを知り、そこに決めました。

ー 理系か文系か、ということではなく数学が好きだったのですね。そういう発想は日本だとあまり無いですが、本来はとても自然ですよね。僕も理系・文系というより、とにかく「物理」と考えていたのでよく分かります

大学時代

大学も無遅刻無欠席。片道2時間半かけて通った。授業が厳しいが、良い先生が多く、とても楽しかった。インターネットサークルに所属

Q. かなり長い通学時間ですが、それで無遅刻無欠席はスゴイです!

1限目に出席するためには朝6時半に家を出る必要がありました。毎日みっちり授業が詰まっているので最後の講義が終わるのが夜7時、帰宅は9時半頃でした。高校時代の最初に気が抜けてしまって苦労した経験もありましたし、せっかく入りたい大学に入ったので、勉強は頑張りました。3年で単位はすべて取得し、4年のときは卒論のみとなりました。ちなみに無遅刻無欠席は中学時代からずっとです!

Q. インターネットサークルに所属されていたそうですね

はい。1つ上の先輩たちが作ったサークルでした。ちょうどインターネットが盛んになり始めた頃で、当時はいろいろな人とオンラインでチャットするのが楽しくて、タッチタイピングがものすごく早くなりました。

就職活動

金融機関を志望した理由は大学の授業

Q. 就職活動について教えてください

就職先は金融機関がいいなと思っていました。きっかけは授業で聞いたCO2の排出権(取引)や年金制度破綻が叫ばれる中での企業年金のあり方などが印象に残っていたことです。そういったことに関われるのは金融機関で、特に信託銀行だと思いました。

信託銀行に就職

希望通り信託銀行へ就職。上司や先輩に恵まれた

Q. 信託銀行に入社してみて、いかがでしたか?

とにかく上司や先輩に恵まれたと思っています。新卒のOJTで自分を担当してくれた先輩はとても優しく教えてくれました。一つ上のとある先輩には特にお世話になりました。「分からなくて黙って調べるくらいなら、時間がもったいないから聞け」と教えられ、実際何を聞いても粘り強く、温かく教えて頂きました。自分も後輩たちになにか聞かれたときにはサポートしようと思ったのは、このような先輩たちに巡り会えたからです。また、上司にも何かと気にかけてもらい、自分自身の成長へのアドバイスもたくさん頂けました。

Turning Point

アクセラレータプログラムにメンターとして参加

信託銀行勤務の最後の2年間は銀行主催のスタートアップ向けアクセラレータープログラムにメンターとして参加。キャリアの大きな転機となった

Q. キャリアの転機として、メンターとして関わられたアクセラレータープログラムを挙げておられますね

はい。2年間、アクセラレータプログラムの第1期と第2期を担当しました。

Q. これまでのお仕事との違いを感じましたか?

そうですね。100名以上が集まる第1期のキックオフ会議に出席した時、知り合いもいませんから不安でした。これからプログラム期間の半年、自分はどうやって生きていくんだろうという気持ちで会議に向かったことを覚えています。

Q. 実際にアクセラレータプログラムに取り組まれてみていかがでしたか?

当初の不安とは裏腹にめちゃくちゃ楽しかったです。それまで出会う機会のなかったスタートアップやベンチャーキャピタル、グループ企業の方々との交流がとても刺激的でした。私のチームのメンタリングは毎週火曜日に集合してアイディアを出し合っていました。大体時間内には終わらず、あるときはメンタリング終了後、スタートアップ企業の代表と東京駅の広場で2時間くらい熱く語り合ったりもしました。実は、そのスタートアップの今のサービスのアイディアも、そのときの立ち話がきっかけで生まれているんです。

Q. スタートアップの世界は独特の熱量がありますよね

実はその時までFacebookのアカウントも持っていませんでした。でもスタートアップの人たちはFacebookのグループチャットで連絡を取り合っていて、僕のためだけにメーリングリストで連絡が来る状況でした。あるときたまたまメールに流れてこない情報がありまして、その時に自分もFacebookを使うようになったんです。ITのツールに慎重だった自分も巻き込まれるような勢いがありますね。今ではFacebookもLINEも効果的に使っています。

Q. ご担当されたスタートアップとは今も交流があるのですか?

はい。

その2時間立ち話したスタートアップが最近資金調達したのでお会いしてお祝いをしました。新しい人達と出会い、その人たちがうまくいったり、ビジネスが花開いたり、身近な人が活躍しているとすごく嬉しく感じます。

メンタリング期間が終わると、担当していたスタートアップ企業と仕事の時間を過ごすことは無くなりますが、共に作り上げたその時の思いが通じ合っている感覚があります。

Q. 吉田さんは学生時代から皆で一緒に作り上げることに情熱を感じておられましたから、スタートアップと共にサービスやビジネスを作るアクセラレータのメンターはぴったりですね

自分はどちらかと言うと「石橋を叩いても渡らない」ようなリスクを取らない慎重なタイプだと思っています。でも新しいことを生み出す時って、ある程度その枠からはみ出さないといけないなと思う瞬間があり、当時その気持ちを共有できた上司や、アクセラレータという土壌をくれた方々には感謝しています。一人でできることはありませんでしたし、皆さんに改まってありがとうと言うのは気恥ずかしいですが、すごく感謝しています。

コンサルティング会社に転職

新卒で信託銀行に入社した当時は転職せずに定年まで働くだろうと思っていた。そのつもりで仕事もしてきた。アビームコンサルティング社への転職のきっかけは何だったのだろうか

Q. 吉田さんは今年アビームコンサルティング社に転職されました。信託銀行では何年お仕事されたのですか?

トータルで18年と10ヶ月ですね。それまで転職を考える事はありませんでした。これまで事務、企画、営業等、色々と異なる仕事をしてきたので、その都度環境が変わってとても楽しく過ごせました。

Q. その吉田さんが今回転職を決められたきっかけは何だったのですか?

個人的な都合が大きな要因としてありました。また、アクセラレータプログラムのメンターという役割を通じて、スタートアップの人たちとの出会いがこれからの人生について考えるきっかけにもなりました。信託銀行社内では僕のことを知っている人は多かったのですが、社外の人たちとの交流を通じて自分の経験や知識の深みが増していくのを感じました。そして、それを活用したいと思う気持ちが出てきました。そんな時、チャレンジしてみないか、と声をかけてくれたのが今の会社です。

今では、スタートアップとの協業を通じて、Fintech等を活用した新たなビジネスモデル創出の検討や支援をしています。

さらに、別のアクセラレータプログラムのメンターに就任し、スタートアップや企業のサポートをしています。

ー これまでを振り返ってみていかがですか?

とにかく感謝しか無いですね。

自分は周りにすごく助けられてきたな、と思っています。前職の同期は華々しい学歴の人ばかりでしたが、その仲間たちには在職中助けられてきましたし、そして今も交流があります。

ー 若い人たちへ伝えたいメッセージがあればお願いします

「分からないことは分からない」と理解し「分からない」と言ってほしいです。困った時にWebで検索するのも良いですが、人に聞いてみることを勧めます。会って直接話すことでWebにはないその人の経験や知識、洞察まで得られるので気づきが多いと思いますよ。そして、自分が聞かれたときには同じように親切に教えてあげてほしいです。

ー どうもありがとうございました