辻 馨
0016
2017-01-11
年齢25歳
出身地 愛知県
結婚 独身
海外経験あり
職業 アイススケートパフォーマー
勤務地 神奈川県
会社名Royal Caribbean International
出身校 同志社大学
専攻 心理学
3 Points
両親の勧めで始めたフィギュア中心の生活。文武両道の高校時代
シングルからアイスダンスへ。大学休学の決断
偶然の出会いから豪華客船のパフォーマーにになり、大学へ戻る資金を作る
インタビューの前に
フィギュアスケートでオリンピックを目指し、幼い頃から厳しい練習をされてきた辻馨さん。アイスダンス転向などを経て、現在は海外豪華客船でアイススケートパフォーマーをされています。まだ25歳というお若い方ですが、これまでの人生でのご経験は濃厚です。プロスポーツの厳しさ、資金の話、周りでサポートしてくれる人たちとのお話、今後についてお話を伺います。
幼少時代
Q. 辻さんの生まれ育った地元や幼少期について教えて下さい。
愛知県名古屋市です。それほど栄えている場所ではありませんでした。幼稚園の頃はアレルギー、喘息、アトピーなど身体が弱かったです。

小学生
週7日練習のスケート漬けの毎日。週末はコーチの家に泊まり込み。同世代の子供達のように遊びたい気持ちもあったが、頑張るやりがいも感じていた。
Q. 小学生の頃からフィギュアスケートを始められたそうですが、きっかけは?
身体が弱かったので運動をしたほうがよいということになり、最初はスイミングに通っていましたがあまり好きではなかったんです。すると母親からバレエかスケートをやるように勧められました。理由はよく分かりませんが、僕に向いていると思ったのかもしれません。
ー それでフィギュアスケートを選んだのですね
実は最初はスピードスケートのことかと思ったんです(笑)。バレエは嫌だったし、それならスピードスケートのほうが良いと思ってスケートを選びました。
Q. そうだったんですか(笑)。それがフィギュアだということはいつ気づいたのですか?
みんな最初はスケートの基礎を習う「スケート教室」から始まります。その後、フィギュア、ホッケー、スピードに分かれます。僕の場合、スケート教室が終わったあとは自動的にフィギュアの方になりました。
Q. 「スピードスケートがいい」とは言わなかったんですね
親の意図としては最初からフィギュアだったようで、選択肢はありませんでした。。今考えればバレエと二択でスピードスケートはおかしいですよね(笑)
Q. 小学校1年生の時から練習漬けだったそうですね。
はい。生活の一部というより生活のベースになっていました。学校から帰ってくると、友達と遊ぶ代わりに車でリンクに行く毎日です。他の子とは違う生活でした。練習は毎日ありました。小学校3年生からは週末も練習になったので週7日です。
ー 週7日ですか!
はい。平日は地元のリンクで練習ですが、週末は金曜日の夜か土曜日の朝に京都にいるコーチのところにバスで片道2時間かけて行くんです。コーチの家に泊まりでずっと練習です。そして日曜日の夜9時くらいに帰ってくるということを続けていました。大きい荷物を持って夜一人で帰って来るので、お巡りさんに「どうしたの?」と声をかけられることもありました(笑)
ー 小学生の頃から本当にスケート中心の生活だったのですね
そうですね。学校から帰宅後に友だちと遊ぶような生活もちょっと羨ましかったですが、その分周りから一目置かれたり、なかなか普通の子どもが経験できないような「ちょっと先の人生」を経験できたので、トータルで考えると良かったと思います。

Q. 週末は京都のコーチの自宅に泊まり込みということでしたが、普段とは違う練習をするのですか?
スケートの練習以外にもマナーや社会常識が身についたと思います。敬語の使い方とか。先生に対して普通に話すと「先生は友達じゃないんだよ」と指導されたり。最初は1人でしたが、他の子と2〜3人一緒に泊まることもありました。練習に関しては、まだ子どもだったので単純に練習時間が長いのが辛かったですね。練習は初級、中級、上級、という風にレベルごとに時間で区切って行うのですが、京都の地元の子たちは自分のレベルの練習に来て、終わると帰っていきます。でも僕はコーチがリンクにいる朝9時から夜9時まで、ずっと一緒にいなければなりません。自分のレベル以外の練習時間もサボる訳にはいきませんから、結局全部の練習に出ていました。「早く帰りたいな」と思っていました(笑)。
Q. 本当に一日中練習ですね。小学生だったら早く家に帰りたいと思っちゃいますよね。
当時練習していたリンクでは有線放送が流れていて、その頃よくかかっていた曲を聞くと今でも当時の辛い思い出が蘇ってきます。ちょっとしたトラウマです(笑)。
Q. 練習場所が限られるフィギュアスケートというスポーツの特殊性もあるのでしょうね
身近なスポーツではありませんね。まず氷がないと練習できないし、教えてくれるコーチも多くない。資金面からも、レッスン代、場所代、移動の交通費などかかりますから他のスポーツとは違いますね。
Q. そんな辛く厳しい練習が続いていて、辞めたいと思ったことはありますか?
よくありました(笑)でも、ちょっとやる気がなくなって真剣にやっていないと、親から「じゃあ辞める?」と言われて、、、そう言われると、これまで全てを捧げてきたスケートを取り上げられることはアイデンティティが無くなる気がして、泣いて謝って「スケートやりたい」と言うしかなかったですね。今思うと親もずるいなと思います(笑)。自分の意志とは関係なく親から与えられたことに、自分で測れないもので迫られても理解できませんから。ただ恐れを感じるだけで。今ならお金もかかって親も大変だっただろうと理解できますが、子どもの当時は分かりませんからね。
Q. (笑)では逆にご両親からどのように言ってもらえれば良かったと思いますか?
そうですね。子どもでもイメージできるように、選択肢を分かりやすく言ってくれると良かったかなと思います。例えば「普通に学校に行く生活がいいのか、それとも毎日スケートの練習は大変だけど他の子には出来ないことをやっていて、大会に出て評価されたりする生活がいいのか」と。
Q. なるほど。もし当時そう言われたとしたらどちらを選んだと思いますか?
うーん。当時なら辞めてたような気がします(笑)僕の場合はすごく楽しくてやっていたかというとそうでもなかったので。芽が出るのも遅かったですし。
中学生
Q. 結果的にはスケートを続けてこられたわけですが、中学時代も同様の生活でしたか?
そうですね。途中から週末も名古屋で練習をするようになったので、長距離移動がなくなったくらいで、生活は小学校の時と変わっていません。
高校受験
練習と勉強の両立が大変だがやり遂げた
Q. 高校受験について教えてください。
高校受験の時はすごく勉強しました。進む高校によってその先歩ける人生の選択肢が全然変わってしまうと聞いていたので、練習も続けながら一生懸命勉強しました。そして志望していた私立の男子校に合格しました。
ー 練習も続けながらですから頑張りましたね。これは僕の意見ですが、受験勉強のために部活を辞めたりすると、大体勉強の方も上手く行かないものです。
僕もそう思います。周りにもそういう子がいましたが、それほど効果が上がっていないようでした。
ー 勉強とは別に取り組んでいる何かがあった方が、限られた時間で工夫しながら効率よく勉強するようになるからでしょうか。それと勉強のために(遊びではない)何かを辞めると、逆にプレッシャーも高まってしまいますよね。
高校生
文武両道の校風。甘えてしまう自分にルールを定めた
Q. 高校時代もスケートと勉強の両立は上手くいきましたか?
高校時代は自分が一番成長できたと思います。通っていた高校は文武両道が求められる厳しい校風でした。スポーツをやっていても、それが勉強ができない理由には全くならない環境でした。周りにもスポーツを真剣にやっている生徒が多く、全国大会に出るような人たちでも成績でオール4以上じゃなきゃダメ、という方針でした。自分と同じような仲間が沢山いたのも良かったです。その一方、もし勉強でわからないことがあったら、どの先生もいくらでも個別指導をしてくれる環境でした。だからこそ本当の意味で応援してもらっている、と実感しながら頑張れました。

Q. スケートへの取り組みは変わってきましたか?
基本は変わりません。でもテスト週間などは練習を休んで勉強しなければいけません。その理屈はもちろんスケートのコーチには通じず、なかなか理解してもらえませんでした。せっかくジャンプの調子も良くなってきているのにどうして丸々一週間も休むんだ、と。
Q. なかなか難しいですよね。コーチも真剣に指導されているわけですから。
そうなんです。今思うと直前に丸々一週間休んで勉強するのではなく、もっと効率よく要領よくやればよかったな、と思います。自分はそういうところがあまり努力出来ないタイプなので。
ー え?そうですか?十分努力家だともいますが。。。
小学校や中学校のときと違って、高校になると生活の自由度が増して、自主性が求められるようになりました。これまでは周りから言われる時間配分で練習や勉強をしていましたが、段々そういう割り振りを自分でしなければいけなくなり、自分の甘えが出てきたんだと思います。今日は勉強するから練習はいいや、とか、今日は練習するから勉強は明日、と言い訳してしまう時があって、ちゃんと100%頑張っていたら良かったなと思います。
ー 辻さんは自分に厳しいんですね。その甘えちゃうところは僕にもあるので、耳が痛いです。
そういう甘えが出てしまう自分が嫌だったので、それからは自分の中で大きな選択をする時には常に2つのことを考えるようにしています。
- そのときにしか出来ないことなのか?
- (甘えられないような)やらざるを得ない環境に自分を置くことができるか?
ー ちゃんとその後に活かしているところが素晴らしいですね。
大学受験
Q. そうなると大学受験はもっと大変そうですが、いかがでしたか?スポーツ推薦もあると思いますが。
僕の場合はスポーツ推薦ではなく、高校時代の成績で決まる指定校推薦で同志社大学に行くことが出来ました。評定平均が4.3〜4.4以上あると推薦してもらえるんです。練習があって、一年間ずっと受験勉強に当てられない僕には毎回のテストで積み重ねる推薦が向いていました。もともと理系だったのですが理系学部に入ると忙しくて練習時間が無くなりそうだったので興味があった心理学部を選びました。
ー まさに文武両道ですね!
大学1年
楽しい大学での寮生活。目標を見失いスケートを辞めてしまった
Q. 大学生活がスタートしました。環境が変わっていかがでしたか?
大学では寮に入りました。寮生活はとても居心地がよくて楽しかったです。今までは、どちらかというと「きれいな」世界にいた自分にとって、お金はなかったですが、寮の仲間や先輩、クラスの友達とお酒を飲んだり遊んだりすることがとても新鮮でした。

Q. スケートの方はいかがでしたか?
それが、大学に入ってからあまり練習に行かなくなりました。理由は色々あるのですが一番大きかったのは、目標が変化してきたことだと思います。ずっとシングルでオリンピック出場を目指して頑張ってきましたが、だんだん自分の位置が分かるようになってきました。オリンピックには出られないし、全日本では中堅レベルです。夢が夢でなくなっていくというか、夢の段階を徐々に下げていくような感覚です。自分がやっている中で目標を探すようになります。もう一つ夢として漠然と思っていたのはディズニー・オン・アイスだったのですがよく考えてみたらあまり興味がない自分に気づいたりもして。
Q. 目標は大事だということですね。
はい。フィギュアスケートをやっていて良くあるのは大学4年まで続けて引退する、というケースです。4年で国体に出て終わる、と。でもそれだと引退を目標に頑張る、ということになります。でも僕の場合「気持ちよく引退する」という目標だけでは頑張る気力が沸いてきませんでした。
Q. その後はどうなったのですか?
練習にあまり行かないので、レッスン代(の請求)が安くなっていきます。1年生が終わった春休みくらいに明細を見た両親が気づいたんですね。それで家族で話して、自分自身目標も失っていたので辞めてしまったんです。
Q. ずっと頑張ってきたスケートを辞めるのは寂しくありませんでしたか?
そうですね。なんか「スッ」と辞めてしまったので。。「辞めるときっていうのはこんなもんかな」とか「ああ辞めちゃったな」という感じでした。
大学2年生
一度離れたスケートの世界。お世話になった方からの誘いがあり、アイスダンス競技者としてのチャレンジが始まった
Q. その後アイスダンス選手としてまたスケートを再開されましたが、きっかけはなんだったのですか?
2年生が始まって少し経った頃に、よくお世話になっていたスケート連盟の人から連絡があったんです。「フィギュア辞めたんだって?」と。その方は以前から僕をアイスダンスに誘いたかったようでした。それまではシングルを一生懸命やっていたので、今回辞めたことを知って連絡をいただきました。
Q. アイスダンスでもう一度スケートをやろうと思ったのは何故ですか?
そうですね。一番大きい理由は一度失ってしまった目標がまた出来たことです。もう一度オリンピックを狙えるという夢というか目標です。
Q. そういうことだったのですね。シングルとは違いもあると思いますが「楽しさ」という観点からアイスダンスはどうだったのでしょうか。
以前神奈川県で開催されたスケートのショーに呼んでもらったことがありました。プルシェンコ選手も出るようなイベントで、そこでアイスダンスをして楽しかった経験がありました。それと子供の頃「カリブ海のクルーズ船」でのスケートのショーがあるのを知ってそれをかっこいいなとずっと思っていたこともあり、ポジティブな気持ちでした。
Q. アイスダンスのために楽しかった大学を休学するという大きな決断をすることになりました。どのような経緯だったのですか?
練習場所が横浜なので、当初から休学を勧められていたんです。ただ初めのうちは週に3回夜行バスで通っていました。寮で過ごす大学生活も楽しかったですし、友達もいたので葛藤がありました。

Q. 京都・横浜間をバスで週3往復は大変ですね。最終的には休学の道を選んだのですね。
はい。本当に迷いました。このままの学生生活はとても楽しいけど、やっぱり目標に向かって頑張っている自分の方がいいな、と。そこでいつもの自分の基準に当てはめてみたんです。
ー 「今しかできないのはどっちだ」「やらざるを得ない環境に自分が置かれるのはどっちだ」という辻さんの判断基準ですね。
はい。それで「それはアイスダンスだ」と。2年生の終わりに休学をして横浜に引っ越しました。
Turning Point
アイスダンス競技者
アイスダンスで再びオリンピックを目指す。技術の練習に加え、パートナー選びというアイスダンスならでは難しさは想像以上だった。
Q. 横浜でのチャレンジが始まったんですね。練習の仕方や競技としてシングルとはどのあたりが違うのですか?
アイスダンスは指導者が少ないので、海外で振り付けをする必要があります。1ヶ月〜半年のような長期間海外で練習することになります。それはとても良い経験でした。文字通り海外だと「やらざるを得ない環境」なので集中していました。それとパートナーがいることも大きな違いですね。相性が良いパートナーと組むことも大事な要素になります。
Q. パートナーとの相性というのは具体的にどういうことですか?
まずスケートのレベルです。それと体型とかスタイルもあります。自分と並んだ時にペアとしてかっこよく見えるか、ということです。実際パートナー探しがアイスダンスでは一番大変な部分でした。今言ったようなレベルやスタイルもそうですし、練習場所が横浜しか無いから、横浜にでてきてくれるかどうか、そして資金的なこともあります。それらの条件が全て揃う人を探すのが大変なんです。

Q. その後は順調でしたか?
はい。パートナーと2シーズン経過した頃、日本スケート連盟から海外の大会に派遣してもらう直前まで行きました。でも結局は練習場所などを含む色々なことでパートナーと意見が別れてペア解散になってしまって。その時は大会に出られませんでした。
ー それはシングルには無い難しさですね。
はい。その時の選択肢としては2つありました。練習場所などを変えて、そのパートナーとまず目の前の大会に出るか、あるいはもっと先の目標、オリンピックを目指して別のパートナーと組むか。当時は大きな目標が優先順位として高かったので後者を選びましたが、今思うととりあえず大会に出ておけばよかったかな、とも思いますね。
Q. 新しいパートナーはすぐに見つかりましたか?
二人目のパートナーと組んだのですが、やがてそちらも解散になってしまいました。そして、パートナーを探すことがあまりにも大変なので、次のパートナーを最後にしようと思いました。もし次解散になったら辞めようと。この頃はレッスン代も含めてお金も苦しかったし、大変でした。

Q. 3人目のパートナー探しは上手くいきましたか?
パートナーを探すためにフランスのリヨンに行きました。そこでフランス人の良いパートナーが見つかりました。先生も良い人だったので一安心でした。ところがその後そのパートナーの子がご両親の事情でパリに移らなければいけなくなったと連絡が来て。。。パートナーが組めないことになってしまったんです。
ー それはショックですね。フランスに行ってやっと探したパートナーだったのに。。
そうなんです。結果としては以前から声をかけてくれていた日本人のパートナーと組むことになりました。
Q. そのパートナーとはその後どうなりましたか?
一生懸命練習して全日本にも出場しました。たださっきも言いましたがアイスダンスは登場人物が多くて、色々大変で。。パートナー、コーチ、自分、それぞれの親。それらの間に少しでも歪が生まれるとなかなか簡単にはいかないんです。僕もギリギリまで頑張ったのですがこれは無理だなという段階が来て、解散となってしまいました。
ー それは難しい問題ですね。スケートのように幼い頃から始める必要があり、かつ資金も必要な競技では親も二人三脚でずっと来ていますからね。きっとどこかで切り替えが必要な気がします。
3人目のパートナーで解散になったら辞めることにしていたので、そのままアイスダンスを辞めてしまいました。
Q. 辞めたあとはどうしていましたか?大学に戻るとか?
その後は1年ほどアルバイトをしながら、本当に何となく横浜にいた、という状況でした。大学に戻るお金もなかったし。ただスケートを辞めてレッスン代がかからなくなったので、少し楽になりました笑。
Turning Point
アイススケートパフォーマー
再び目標を失いスケートも嫌になってしまった。そんな時に偶然の出会いから子供の頃憧れていたアイススケートのパフォーマーという転機が訪れる
Q. 頑張ってきた分、茫然自失という状況だったのだろうと思います。その後どのようなきかけでアイスショーのパフォーマーになられたのですか?
もうスケートをすること自体が嫌になっていた時期でした。そんな頃、以前からリンクで顔見知りだった方からスケートに誘われました。スケートが嫌になっていたので、最初は乗り気ではなかったのですが軽い気持ちで一緒に滑りました。そこに海外の豪華客船でアイスショーをしているという方がいて、紹介してもらったんです。その方はたまたま帰国していて、そのリンクに来ていました。
Q. ものすごい偶然ですね。その方の帰国のタイミング、そしてたまたまそのリンクにいたという。
はい。しかもその方の船が、子供の頃かっこいいと思っていた「カリブ海の船」だったんです。そしてその船に誘って頂きました。大学に戻ろうかな、と思っていたタイミングでしたが、例の自分の判断基準に照らしてみて、今しかできない、やらざるを得ない環境、ということにヒットして即答でお願いすることにしました。
Q. そのようなこともあるんですねぇ。パフォーマーのお仕事はいかがでしたか?
2016年の4月から11月まで7ヶ月間船で過ごしました。ご紹介いただいた方とは別の船になってしまい、苦労はありましたし、きついこともありましたがとても楽しかったです。

Q. 船の生活について具体的にちょっと教えてください
毎週日曜日夜にマイアミを出発して、次の日曜日朝に帰ってくる。という繰り返しです。パフォーマーを含む全てのスタッフはクルーの仕事も結構あります。避難訓練や万が一の場合に備えたお客さんの誘導訓練などです。毎日午前に事故時の対応についてのテストがあります。とくにパフォーマーはお客さんの前で話せるという意味合いから、お客さんの誘導チームのリーダーをやらないといけません。
Q. パフォーマンスをするだけではないのですね。そして11月にひと区切りつきました。今後も続けられるのですか?
11月の時点で契約更新できるというオファーを頂いたのですが、さすがに疲れてしまって一旦帰国しています。今は大学に戻りたいと思っているので、その学費のためにももう一度船でのパフォーマーをやって、来年から大学に復帰しようと思っています。船で良いのは衣食住のお金がかからないことです笑。

Q. 自分の技術でお金を稼げるというのは本当に素晴らしいことですね
そうですね。その点は親に感謝しています。
大学へ戻る準備
7ヶ月に渡る船での生活に一区切りつき、大学へ戻ることを決意
ー 25歳という年齢で辻さんのように自分で色々と選択をして生活できている人はあまりいないと思います。
でも時々「これから自分はどうするんだろう」と不安になることもあります。こんなことを言ったらおかしいというか怒られるかも知れませんが、いわゆる「レール」が敷かれた人生にちょっと憧れる部分もあります。不安にかられて選択を迫られる毎日を過ごしているので。
ー 辻さんはプロ競技者であるだけではなく、学業もしっかりやってこられたから、選択肢が多いのだと思います。それはそれで逆に不安になることもあるでしょうね。
まだまだ知らないことがたくさんあるし、社会人としてどう生きていくのか。何もないところから何かを生み出す方法を考えたいし、自分では想像もできないような世界について多くの人と会って話を聞いていきたいと思っています。
ー 応援しています。今日は貴重なお話をどうもありがとうございました。
どうもありがとうございました。