27歳で初めての海外出張

今回は少し自分のことを振り返ってみます。僕にとっては思い出の多い失敗だらけの初めての海外出張のお話です。

現在の僕は年に7〜8回海外出張をする生活を送っていますが、もちろん始めはそうでなかったどころか、飛行機にも乗ったことがない人生でした。

色々なところに書いていますが、僕の両親は八王子市役所の職員で、国内どころかほとんどを八王子市内で過ごしてきています。当然僕も両親から海外の話を聞く機会など無く、今では信じられませんが、僕が初めて飛行機に乗ったのは23歳のときです。初めての海外出張ではないですよ。初めての飛行機です。離陸時の凄まじい加速と、着陸時の制動(ブレーキ)にはただただ衝撃を受けて感動したことを覚えています(今もそうです)。

僕の初めての海外出張はロータスという外資系ソフトウェア会社に転職して3年目の頃でした。27歳くらいでしょうか。中国、台湾、韓国からの同僚とともにアメリカ、ミネソタ州のロチェスターという街で2週間の研修を受けることになったのです。

 

まず英語。全然分かりません。。

 

しかし、英語に関しては、入社1年目のときに飲み会でINDさんという先輩が言っていた言葉がとても印象に残っています。

「お前たち、もしかして英語が出来るようになってから海外出張に行こうなんて思ってないだろうな。とにかく行って、痛い目にあって、それで死に物狂いで頑張ろうと思える。英語なんてそうやって出来る様になるもんだ」

僕を含む多くの日本人は「準備」が好きな民族なんじゃないかなと思います。ちょっと時間を下さい、と言ってしまいがちです。でもその先輩は自ら上の言葉通り実践していましたし、僕もその頃には「それが一番早いかも」と思えるようになっていました。外資系企業でしばらく過ごすと、少しずつ日本人同士の間では許されていた感覚が「ここでは通じない」と思ったんでしょう。その頃の僕は新卒で就職した一部上場企業をわずか10ヶ月でドロップ・アウトしていましたので、ここでしがみつかなきゃ人生終わる、とか、得られるものは全部得なきゃ、という気持ちでいっぱいだったということもあります。

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ところが僕の初めての海外出張は、思い出してもスリリングなものでした。身内に相談しようにも両親はそのような経験がありませんから、相談できません。そこで、父の知り合いで海外出張をしている人に色々とコツを教えてもらいました。到着後、バゲッジクレームで荷物が出てくる間にトイレに行ったほうがいい(荷物持ったままだと大変だから)とかそういう細かいことまで教えてもらいました。

しかし、ただでさえ初めての、しかも一人での海外出張で緊張している僕に、恐ろしいミッションが課せられました。

  • ロチェスター空港についたら自力でレンタカーを借りて自力でホテルまで行くこと
  • その際、同じ便の飛行機に中国人の同僚(会ったこと無い)が乗っているので、彼女を探して一緒に乗せていくこと
  • 毎日車でオフィスまで行くこと

 

ほとんどパニック状態です。良くも悪くも外資系の投げっぱなしです。できるよね?以上。みたいな。他の人も大体そんな感じだったと思います。

 

幸い中国人の同僚とは成田空港で出発前に会うことが出来て挨拶ができました。そして僕がレンタカーを借りるから、一緒にホテルまで行こう、とカタコトの英語で伝えました。これでひとまず、到着空港で見知らぬ同僚を探すというミッションからは開放されました。

さて、着いてからレンタカー... ああ、何をカウンターで言ったのか覚えていません(笑)。とにかく色々言ってフォードのメガーヌという車を借りました。レンタカーなんて日本でも借りたことはありませんでした。そして初めて左ハンドルの車の運転席に座り、プリントアウトしてきた地図を頼りに、初めての右側通行の道路で、中国人の同僚を乗せて、ソロソロとホテルに向かうことに。時刻はおそらく夕方6時くらいでしたが、冬のミネソタ州ですからすでに真っ暗。しかも雪が降ってます!雪道なんて日本でも運転したことないのに... 途中で同僚が話しかけてきたりしましたが、とにかくパニクってますから余裕もなく、全く覚えていません。ホテルの駐車場のシステムもよく分からず、適当にワーワー言って駐車し、クタクタでチェックインしました。ところがこれで終わりません。

翌日、台湾、韓国からの同僚と会い、一日無事に(言葉はほとんど分からなかったけど)過ごすことが出来、ちょっと気持ちに余裕ができました。研修を終えてホテルに戻り、部屋で帰りの便のチェックをしようとチケットを探したら、、、無い!

無い無い無い!

荷物をひっくり返してもどこにもない。帰れない!急いで東京オフィスにいる上司と、チケットを手配してくれた人にメールを書き、その日はビールを飲んで寝ました。

 

二日目はチケットのことが気になりながらも研修びっしりだったので、疲れて部屋に戻りました。すると部屋の電話がピカピカ光ってます。何だと思ってそのボタンを押すと、留守電話のメッセージが聞こえました。「??????」早口で何言ってるか全く分かりません。最後の「Thank you」しか聞き取れません。何度も繰り返し聴いたと思います。今までやってきた英語のヒアリングのときとは比べ物にならないくらいの超真剣モードです。全神経を耳に集中して繰り返し聞く事30回は下らないと思います。そしてやっと下記のキーワードが断片的に聞こえてきました。

「you left」

「airline ticket」

「on the counter」

これは(多分)僕がレンタカーを借りたときに航空券をカウンターに置き忘れた、と言っているに違いないと思いました。そして翌日、研修が終わったあと「用事がある」と同僚に言って(笑)、車で空港に向かいました。そこで帰りのチケットを発見したときの安堵感。。。今も忘れられません。

 

※ チケットを発見して安堵の中、帰りの車から取った写真

 

その後は本格的に余裕ができ、個人的な興味から研修終了後も現地のエンジニアのオフィスに立ち寄ってデバッグするところを見せてもらったり、アジアチーム皆でミシシッピ川に遊びに行ったりして過ごしました。

ミシシッピ川をバックに(面影もありませんが笑)右から二人目が当時の僕で、一番右が一緒に車で空港から来た中国のBetty。一番左が親友David。その隣が韓国のKyo Heeです。

 

忘れてはならないのはこの出張で生まれて初めて外国人の友だちができたことです。台湾から来た David Yu(写真左)です。彼はアメリカに留学していたこともあり、英語も上手でリーダー的存在でした。何かとダメな僕の面倒を見てくれて、夜もバーで(彼はお酒を飲まないのに)僕に付き合ってくれました。僕の英語は話すのも聞くのも(今よりもっと)全然だめだったので、メモ帳とペンが必須。漢字での筆談で補い合いながらの会話です。その時、人生で初めて、本気で英語を身に付けたいと思いました。この、親切で尊敬できる友人が一生懸命伝えようとしていることを理解したい。僕の考えていることを彼に伝えたい、と心の底から思いました(英語で言うと I was determined かな)。彼とはおそらく3回ほどバーで同じような時間を過ごしました。僕にとってはそれまでの10年間の英語教育よりその数時間のほうが、コミュニケーションという意味ではかけがえのない時間になりました。「英語の必要性」を感じたひとつのターニングポイントだったんだと思います。入社したときに先輩のINDさんが言ってたことはこれか、と。

 

それからいくつか転職をしたり、ベンチャーの立ち上げをしたりしてきて、今は海外出張も多い生活ですが、間違いなくあの初めての海外出張は僕のキャリアの根底にあります。初めての海外出張が一人だったことも(激しく不安でしたが)、見方を変えればとてもラッキーでした。海外出張は一人に限ります。日本人数人とワイワイ行ったらもったいないです!

 

また3日後からロンドン出張です。このコラムをきっかけに初心に還ることが出来ました。きっとまた今回も、想像もしない新しいトラブルに巻き込まれるでしょう。それで一段ずつ自分は成長できるんだと思います。

 

PS: 帰国後、チケットを無くしたと大騒ぎしてメールを送った上司からは「なんかあったの?だいじょぶ?おつかれさん」だけでした。。

 

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